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2015年5月4日

お詫び

 昨年刊行しました同窓会報397号(2014年10月号)の中の「血脇守之助が三条に滞在しなかったら東京歯科大学の血脇守之助は無かった」の記事の中で、血脇守之助の2通の書簡及びその釈文を、所蔵している阿賀野市立吉田東伍記念博物館の正式な許諾を得ないまま掲載をしてしまいました。
 このたび、同博物館より改めて正式に許諾(許諾 研資No 150413)をいただきましたのでご報告いたします。
 今後はこのような事態を起こさぬよう、細心の注意を払ってまいります。

血脇守之助が三条に滞在しなかったら東京歯科大学の血脇守之助は無かった(同窓会報第397号より)

血脇守之助が三条に滞在しなかったら東京歯科大学の血脇守之助は無かった(同窓会報第397号より)/阿部晴弘(昭和46年卒)
阿部晴弘(昭和46年卒)

血脇守之助

 新潟県の中央部の信濃川沿いに,金属加工や刃物の町として有名な三条市がある。その街で昨年の9月8日町並み探検隊という市民団体の主催で,「血脇守之助と野口英世と三条」という講演会が,三条市立図書館で開催された。講師は吉田東伍記念博物館の副館長渡辺史生さん・実質的には館長。

吉田東伍記念博物館

新潟県の地図

 この博物館は磐越西線が通る阿賀野市の安田町にあって,吉田東伍博士(日本歴史地理学者,『大日本地名辞書』の著者)を記念して建てられた博物館で,後でお話しする石塚三郎が明治,大正,昭和にかけて撮った三千枚以上のガラス乾板写真と血脇や石塚の資料を多く所有している。
 渡辺さんはこれらの写真や資料を基に,「血脇守之助が歯科医師を目指したことに三条が大きく関わっている。血脇守之助が三条に滞在しなかったら,医聖野口英世は生まれていない」と言い切った。 続きを読む

巻頭言/今こそ…

副会長 浮地文夫
副会長
浮地文夫

(東京歯科大学同窓会会報 平成26年10月号/第397号より)

 日歯広報は,7月15日付(1625号)の1面に「組織存亡の危機打開に向け協議」という非常に衝撃的な見出しで,「未入会者対策の方向性」を確認した日歯の第176回定時代議員会の模様を伝えている。日歯の平成25年度の入会者数は1,100名で,退会・死亡退会・障害退会を合わせると1,115名となり,会員数は減少に転じた。日歯作成の報告書「会員数の将来予測(試算)について」によれば,2060年には会員数は半数以下に減少すると予測されている。 続きを読む

100マイルの世界/大多和 昌彦(平成元年卒)

 みなさまは100マイルと聞いて何を想像されるでしょうか?1マイルが約1.6キロメートルですので,おおよそ160キロになり,東京からだと軽井沢を軽く越えてしまうほどの距離になります。
 山の登り降りを繰り返しながら,この距離で合計では9,000メートルほどの高さを登るようなレース(もっと長くきついものも)が世界にはいくつかあります。足で走ることについてはマラソンなどと一緒ですが最近,日本でもブームのトレイルランニングとして紹介される種目です。 続きを読む

ふるさと自慢:昭和の雰囲気漂う階段と路地の街「荒木町」 /四谷牛込(同窓会報397号より)

 現在の新宿区は昭和22年にかつての四谷・牛込・淀橋の3区が統合し新宿区として発足しました。当時の区分が引き継がれ新宿区の本学同窓会は,歯科医師会と同様に新宿支部(旧淀橋)・四谷牛込支部の2つの支部があります。四谷牛込支部はJR 新宿駅から飯田橋駅付近の北側のエリアで,神宮外苑・防衛省・新宿御苑・神楽坂・新宿三丁目など都内でも沢山の人が集う場所がある地域です。 続きを読む

山岳部OB会/杖痕クラブ総会報告

 新緑の眩しい季節から紫陽花の色づくこの季節に,今年も箱根強羅温泉・清峰閣照本にて,平成25年度定期総会と還暦祝賀会を,総勢39名の出席にて開催しました。北は福島より加藤喜代次先生,南は熊本より福嶋修治先生ご夫妻が集合。総会では,すべての議案が可決後,加藤喜代次先生(昭40年卒)から口腔を通して,安心,安全の健康治療教室があり,部員の他,ご家族,学生も受講。皆様からご好評を頂きました。その後,祝賀会へ。 続きを読む

演劇部OB会/レジェンドの語らい

 昭和23(1948)年11月13日,日本の敗戦後の世情が落ち着くのにはまだ程遠い頃,演劇部第1回公演が都民文化館で上演された,と記録にあります。出し物は山本有三作「盲目の弟」,チェーホフ作「熊」。東歯に入学して演劇部に関わった卒業生は平成21(2009)年で170名位と推定されますが,その何方にも多少の違いがあるにしても高校生の頃から演劇に興味を持ち,古典的名著・スタニフラスキーの「俳優修業」を読み齧り東歯演劇部でその情熱を傾注したと想像するに難くありません。 続きを読む

八紫会(昭和35年卒)/世話人会報告

 平成26年6月20日,有楽町ニュー東京で八紫会の世話人と旧幹事のメンバーの拡大世話人会的な会合を開きました。出席者は8名で議題は 1.学年代表者(昨年から始まり八紫会では菊池世話人代表が出席)の決定 2.同窓会報の「クラス会だより」の活用 3.FAX通信の活用について話し合われた。 続きを読む

六喜会(昭和33年卒)/又会

 昭和27(1925)年4月,市川の東歯予科入学。当時はABCの3クラスに分けられていて,Aクラスは英語教授の山本又雄先生が担任でした。昭和33年3月,水道橋の学部4年卒業時に予科で過ごした2年間を記念して「又会」を立ち上げたのでした。

 六喜会が高齢化で幹事の受け手がいない等で卒後50周年総会で解散となりましたが,同窓会としては「六喜会」の名称は残っております。 続きを読む