ふるさと自慢:昭和の雰囲気漂う階段と路地の街「荒木町」 /四谷牛込(同窓会報397号より)

 現在の新宿区は昭和22年にかつての四谷・牛込・淀橋の3区が統合し新宿区として発足しました。当時の区分が引き継がれ新宿区の本学同窓会は,歯科医師会と同様に新宿支部(旧淀橋)・四谷牛込支部の2つの支部があります。四谷牛込支部はJR 新宿駅から飯田橋駅付近の北側のエリアで,神宮外苑・防衛省・新宿御苑・神楽坂・新宿三丁目など都内でも沢山の人が集う場所がある地域です。私の住む荒木町は,その中にあっても昭和の街並みが残るすり鉢型の地形の中に個性ある飲食店が密集し,テレビや雑誌でも時々取り上げられています。荒木町の入口は東京メトロの四谷三丁目,交差点にはヘリコプターをいただく消防博物館があり親子で楽しめるスポットです(写真1)。荒木町は新宿通りの南側で,旧松平摂津守の上屋敷があった地域です。その屋敷内には小さな谷を堰き止めて造った庭園と池があったそうですが,その池を底地として階段と細い路地でつながった街が広がります。池は宅地として埋め立てられながらも弁財天を有した「策(むち)の池」として残り,子供たちの遊び場になっています(写真2)。明治末,この池の界隈は高級な客を相手とする三業地として栄えました。三業地とは料理屋・待合(茶屋)・置屋(芸者屋)の三業が揃った遊興地を言います。当時13軒あった料亭はその姿がマンションに変っている所も多い中,その名残がある細い迷路のような路地に特徴ある飲食店が軒を連ね(一見では入りにくいかも…),夜は隠れ家的スポットとして賑わいを見せています。街のあちこちには昭和の面影がうかがえます。小道に使われている敷石は新宿通りを走っていた都電の敷石だったものです(写真3)。階段の多いことでも有名で写真の階段は「仲坂」と呼ばれ,その上の道は当時の池の堰だったところです。その階段の向こうにはすぐ防衛省の大きな電波塔が見える独特の風景です(写真4)。
 坂が多いこの地域で,私の歯科医師会,保健センターへの移動や買い物に電動自転車は欠かせません。

(昭和63年卒 片倉 孝子)