会員紹介」カテゴリーアーカイブ

草創期の歯科界をリードした石塚三郎の日誌に見る「天長節事件」について(同窓会報424号より)

日本歯科医史学会評議員 佐藤 泰彦(昭和26年卒)

1 はじめに

 石塚は、越後北蒲原郡安田村保田(現・阿賀野市保田)から上京し、苦学生として高山歯科医学院(現・東京歯科大学)に学び、歯科医師として草創期の歯科界をリードし、国政にも参画、歯科医師の身分を確固たるものに導いた。その石塚が、明治40年(1907)9月24日、新潟県歯科医師会の設立総会において、30歳の若さで新潟県歯科医師会初代会長に推され、就任したその日から4年8ヵ月間、自ら克明に綴った会務日誌・会務名簿・会計簿が発見され当時の歯科界の複雑な内情がリアルに記述されている。それらは 戦時中、保田の生家に疎開させた遺品のなかにあった。明治から大正にかけて石塚自身が撮影した約2500枚のガラス乾板などと共に平成8年夏, 生家の当主・石塚セツ氏が当時の安田町(平成16年に4町村が合併し阿賀野市となる。)へ寄贈し平成9年9月開館した「安田町立吉田東伍記念博物館」が収蔵管理する事になった。その後、東京のご遺族からもガラス乾板約500枚の寄贈があった。

石塚の遺品、日誌・会員名簿会計簿
(吉田東伍記念博物館蔵)

2 新潟県歯科医会設立の経緯

 明治政府は「医制改革」を推進しようとするが、歯科医師の数が少なく、国民の歯科医療の需要に応じきれず、明治18年(1885)3月内務省は各府県単位で「入歯・歯抜・口中療治」営業者取締規則を定め、当分の間、鑑札を発行して需要に応じる事とした。
 新潟県では明治27年(1894)の資料によれば「有鑑札営業者」は20名と記録されているほかは詳細は不明である。
 やがて明治23年、高山歯科医学院が創設され卒業生も増え、明治25年7月、警視庁は東京を中心に「歯科医会」を認可し、11月に設立総会がが開催された。明治29年「日本歯科医会」と改称し、歯科医師の身分と業務の検討が開始され全国組織結成の道筋がついた。この時点で全国会員は127名に増加した。これが新潟県に於ける歯科団体の起源である。
 当時の県下開業歯科医は8名で石塚三郎はこの4ヵ月後、長岡町(現・長岡市)に開業し会員は9名になった。
 新潟県歯科医政史(新潟県歯科医師会蔵)によれば、「中村勇三郎を会長に推し、歯科医業の向上発展を期し,治療料を協定し親睦を諮り、毎年開会すべき事を約し、和気藹々の中に散会せり」と記述しているが詳細は不明である。
 第3回新潟県歯科医会は明治35年(1902)6月5日、石塚三郎の提案で血脇守之助を迎え新潟県に於ける最初の学術講演会を開催した。
 第6回新潟県歯科医会は、石塚のガラス乾板とその包装紙によって新発田町(現・新発田市)に開催されたと考えられる。

3 新潟県歯科医師会設立の経緯

 石塚は、恩師・血脇守之助や榎本積一たちに呼び掛け、新潟県選出代議士・青柳信五郎(眼科医・衆議院議員であった川上元治郎の地盤を継承した新潟県選出の衆議院議員、立憲政友会)に働きかけた努力の結果、明治39年(1906)に「医師法」と共に「歯科医師法」が公布され、歯科医師会を設立することができた。

新潟県歯科医師会設立総会集合写真(吉田東伍記念博物館蔵)

 明治40年(1907)9月24日、第1回新潟県歯科医師会設立総会が高田町後、高田市(現・上越市)の「長養館」で開催された。
 この時の会員は20名、出席者は14名であった。(写真前列左から石塚三郎30歳(長岡)倉地實雄29歳(高田)高野季八29歳(長岡)清水弥五郎26歳(新潟)山本允義35歳(高田)・後列左から来海直治31歳(高田)辻澤俊隆25歳(新潟)塚田二郎34歳(長岡)吉岡熊蔵26歳(柏崎)山田利充54歳(長岡)長谷川友治54歳(新潟)江川鈴弥44歳(高田)竹内清平36歳(新潟)小長谷利助32歳(佐渡)
 欠席者は6名。八百枝康三37歳(三条)田中瀧三郎36歳(見附)永井権吉30歳(長岡)佐藤梅次郎31歳(新發田)真部節24歳(新發田)佐藤太三25歳(新發田)
 石塚は初代会長に推され、その後14年間会長を務めた。設立総会から5年間書き続けた日誌には日々研鑽を主唱し、中央から講師を招き、会員の研究発表を盛んに実施させ、歯科医師会として生活困窮者に無料券を配布するなど厚生関係に力を尽している様子や、薬価治療料を規定したことなどが日誌により解明できた。
 しかしこの頃は、新潟県のみならず全国的に非歯科医(無鑑札者・無免許者)が横行し、設立2年目になると非歯科医問題が増加し執行部は翻弄される。
 第2回総会は明治41年(1908)5月10日、長岡市に開催、議事終了後、来賓・門石長秋が「パイロゾンの試験成績」について講演した。この頃から執行部に対し非協力的な会員が数名いたようである。
 第3回総会は明治42年(1909)5月13日、新潟市のイタリヤ軒で開催された。石塚会長は冒頭、この半年間に非歯科医11名検挙・処分された顛末につき詳細な苦心の報告をし、それらと会員の誇大、捏造、中傷などの新聞広告や情報を日誌に記録し、その時々の新聞記事を貼り付け、一層リアルに記述している。

4 天長節事件の顛末 >>

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2021年7月11日

「同窓会員からの写真投稿ギャラリー」を更新しました。

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ふるさと自慢:わたしのふるさと/栃木県 小山市(同窓会報424号より)

 2020年都道府県魅力度ランキングでは最下位と残念な結果でした栃木県ですが,日光,那須,鬼怒川温泉と有名な観光地があり,宇都宮市は餃子の町としても有名です。
 今回は有名観光地ではありませんが栃木県南部の小山市について紹介させていただきます。

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歯科医剣士奮戦す 歴史的勝利挙げる ―全日本剣道選手権大会に同窓の三條先生が出場― /文・花上 健一(平成4年卒・東京歯科大学剣道部監督)(同窓会報424号より)

 令和3年3月14日(日),長野県長野市真島総合スポーツアリーナ(ホワイトリング)において第68回全日本剣道選手権大会が開催され,本学剣道部出身の三條恵介先生(37歳,五段)が歯科医師として初の出場。見事初戦を勝利し,歴史にその名を刻みました。

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母校だより:令和3年度 東京歯科大学132期入学式、フレッシュマンセミナー(同窓会報第424号より)《写真ギャラリー》

令和3年度 132期入学式

 2021年4月5日(月),令和3年度東京歯科大学入学式が水道橋校舎新館血脇記念ホールで挙行された。
 引き続き,新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止のため3部制に分けての開催となった。

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母校だより:令和2年度 短期大学卒業証書授与式・令和3年度 短期大学歯科衛生学科入学式(同窓会報第424号より)《写真ギャラリー》

令和2年度 短期大学卒業証書授与式

 2021年3月12日(金),東京歯科大学短期大学第2期生卒業証書授与式および第1期専攻科生卒業証書授与式が挙行された。共に水道橋校舎新館血脇記念ホールにおいて,新型コロナウイルス感染症の感染予防対策を十分に行いながらの開催となった。

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母校だより:第126回卒業証書授与式、2020年(令和2年)度大学院修了者同窓会会長賞授与式(同窓会報第424号より)《写真ギャラリー》

第126回卒業証書授与式

 2021年3月15日(月),東京歯科大学第126回卒業証書授与式が,水道橋校舎新館血脇記念ホールで挙行された。今年度は,新型コロナウイルス感染症の感染拡大を鑑みて3部制に分けて行われた。また例年併催されている2020年度大学院歯学研究科修了式は,オンラインによるWeb開催にて実施された。

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青森県支部/令和3年度 青森県支部定時総会

 令和3年2月27日(土),ホテル青森に於いて青森県支部総会を開催いたしました。コロナ禍,会場では感染防止策を取り,オンラインも用いての総会となりました。会場出席会員12名(1名別撮り),リモート出席会員が12名,来賓の先生方もリモートでご出席して下さいました。 続きを読む

愛知県支部/東豊会(豊田市)親睦旅行

 愛知県豊田市の東京歯科大学同窓生の集まりである『東豊会』で12月2日(水)〜3日(木)に有馬温泉へ親睦旅行に行ってきました。毎月,少しづつ積み立てを行い歯科医療に通じる研鑽や交流を深めています。今回の長年に渡るそれぞれの積み立てで実現した旅行は,新名神高速道路を西に向かい,夕方には宿の「有馬山叢 御所別墅」に到着しました。 続きを読む