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パンデミック収束のシナリオとオーラルヘルス(2021年11月19日更新)・野口英世記念館感染症ミュージアム開設と賛助会員のお願い[奥田克爾名誉教授(昭和43年卒)]

2021年11月19日更新
名誉会員 奥田 克爾(昭和43年卒)

 人類は,ウイルスと細菌のRNA とDNA 遺伝暗号を獲得して共存して生きていますが,ごく一部の病原体との戦いが余儀なくされています。半世紀にわたって微生物学や免疫学の「学びの歩み」を続けることが出来,本会誌に歯科医学に軸を置いて新型コロナウイルス感染症について解説させてもらいました。驚嘆するスピードで開発されたmRNA ワクチンなどによって第5波感染者の減少が10月になって顕著になっています。ワクチンによって天然痘根絶宣言という金字塔を打ち立てましたが,変異し続ける新型コロナウイルスやインフルエンザウイルスに対して新型ワクチンで撲滅することはまだ先になるとされています。口腔内の数百種類の細菌は,唾液や歯肉溝液を主な栄養源としてバイオフィルムの牙城を築き100億から数千億が住み着き,蛋白分解酵素や内毒素でウイルス感染やその発症に加担し,ウイルスと混合感染して重篤化をもたらします。新型コロナウイルスパンデミック当初からWHO や米国CDC を始めとして,歯科医療や口腔ケアの重要性が強調され続けています(Preventing Chronic Disease, 17 : E82, 2020.Front Microbiol, 11 : 1840, 2020. British Dental J, 228 : 971, 2020. J Clin Med, 10 : 156, 2021.)。今回広報委員から文献をつけてほしいとの要望がありPubMedで検索できるものを( )内に書かせてもらいました。

(※続きはPDFをご覧ください)


リニューアルされた野口英世記念館(野口英世記念館Facebookページより)

野口英世記念館感染症ミュージアム開設と賛助会員のお願い

 人類愛に生き、感染症との戦い生命を捧げられた野口英世先生は、関東大震災の困難時に東京歯科大学に『高雅學風徹千古』の書を血脇守之助先生に贈られています。それらを引用しながら、新型コロナウイルスに関しての拙文を書いてきました。その都度、会員から沢山の質問を受け、最新情報を読みながら応えてきました。野口英世記念会は、石塚三郎先生が甚大な志を持たれて賑恤されて新宿大京町に設立されました。区々たる事情から、記念会は平成27年リニューアルされた猪苗代の野口英世記念館へ移転されました。そして今秋新しく野口英世記念館感染症ミュージアムが開設されました。デジタル化を駆使して天然痘、ペスト、梅毒、コレラなどの病原体との戦いの歴史が取り上げられています。 続きを読む

横浜検疫所旧細菌研究室をめぐる野口英世,血脇守之助(同窓会報第401号より)

神奈川県支部連合同窓会 渡邊 宇一

 横浜市の南部,東京湾に近い金沢区長浜に横浜検疫所旧細菌研究室がある。ここは野口英世が1897(明治30)年,血脇守之助先生はじめ多くの人々の協力を得ながらようやく医師免許を獲得し,高山歯科医学院,順天堂病院,そして北里柴三郎博士の伝染病研究所と職場を変えた後,1899(明治32)年,北里博士から新しい働き場所として推薦されたところである。そしてここでの功績が認められ,初の外国赴任のチャンスを掴んだ思い出の地である。 続きを読む

100年の時を経た野口英世のカラー写真(同窓会報第401号より)

広報部・副委員長 山口雅史

100年の時を経た野口英世のカラー写真(同窓会報第401号より)

 「野口博士ほど写真のお好きな研究者はいない」とも言われ,我が東京歯科大学にとてもゆかりの深い
野口英世。彼が写るカラー写真が日本人最初のカラー写真だということを皆さまご存じであろうか。

 青地のワイシャツに糊の効いた純白の襟,胸ポケットには黄色の花が挿してある。よほど日差しが強いのか目を細め,左手は見えないようにボーダー(帽子)が置かれ,右手にはしっかりステッキを持っている。また,背景は緑の木々が生い茂り,たいへん鮮やかな赤い花で囲まれている。大正3年に英世から小林栄先生のもとに送られてきたもので,保存状態は大変に良く,この写真は現在猪苗代湖湖畔の野口英世記念館にて展示されている。
 では,いったいいつ誰がどうやって撮ったものであろうか。 続きを読む

文学座公演「野口英世物語」についてのお知らせ(2015年11月6〜15日公演・9月26日発売開始)

東京歯科大学同窓会 会長 矢﨑秀昭

『再びこの地を踏まず ―異説・野口英世物語―』作/マキノノゾミ 演出/西川信廣(2015年11月6〜15日)

 日頃から同窓会の活動に多大なるご支援を賜わり厚く御礼申し上げます。すでにご存じのように本年は血脇守之助先生が明治28年に同窓会の前身となる「院友会」を創設して120周年を迎えることとなります。これを記念して本年11月29日には記念式典、講演会、祝賀会が開催されます。是非多くの会員の皆様のご参加を心よりお願い申し上げます。
 同窓会創立120周年の記念会と、ほぼ同時期に、野口英世の人間像を描いた、文学座の公演が開催されます。第一幕では高山歯科医学院や、三崎町の血脇守之助邸の場面など、血脇守之助の偉大な人物像と共に、世界に羽ばたけた野口英世との人間的結びつきについても演じられると思います。
 文学座から東京歯科大学同窓及び大学関係者、学生の方に是非ご来駕戴きたく、下記の様な連絡がありました。
 同窓会創立120周年を盛り上げるためにも、この文学座の公演の盛会を同窓として支援して戴きたくお願い申しあげます。

『再びこの地を踏まず ―異説・野口英世物語―』

  作/マキノノゾミ 演出/西川信廣
主演: 今井朋彦、瀬戸口 郁、若松泰弘、鈴木弘秋、佐川和正、西岡野人、後田真欧、
富沢亜古、藤﨑あかね、松岡依都美、永川友里、千田美智子
☆公演期間: 平成27年11月6日(金)~15日(日)
☆場所: 新宿・紀伊国屋サザンシアター
☆発売開始: 9月26日(土)
(公演日程及び申し込み方法は、別紙をご参照ください)
チケット申し込みは「文学座チケット専門:0120-481034」に
東京歯科大学関係と言って下さい。(10時~17時30分・日祝のぞく)
☆料金
(全席指定・税込)
・一般:6,000円 → 5,400円(東京歯科大学割引)
6日(金)・9日(月)は4,000円
・ユースチケット(25歳以下):3,800円 → 3,500円
・中・高校生:2,500円

あらすじ

 舞台は明治31年、野口が北里研究所の助手見習い時代から始まる。研究所では雑用しか仕事のない毎日に嫌気がさし始めている野口。一日も早く世界へ出たいという野心を抱いているが、それだけの地位、功績、名声、そして肝心の渡航資金と何一つ持ち合わせていなかった。郷里の親友から借金してもすぐに使い果たしてしまうほど金遣いの荒い浪費家であり、さらに上乗せして無心するほどの途方もない借金魔であった野口。医師を志す女学生・斉藤ます子と婚約。その婚約持参金をアメリカ留学の渡航費に当てようとしたが、宴会や芸者遊びで大金を一夜にして使い果たしてしまう。しかし努力家という本来の一面による彼の熱心な勉強ぶりと、誠実さを理解してくれている、恩師血脇守之助はホトホト呆れるも、野口という人間そのものに魅了されている彼は、渡航実現に向けて尽力するのであった。
 時は流れて明治44年。ニューヨークに新設されたロックフェラー医学研究所に足場を固めていた野口は、ついに病原性梅毒スピロヘータの純粋培養に成功する。そしてひょんなことから知り合ったメリーと結婚。その後も次々と病原体を発見し、地位、功績、名声を確実に手中に収めていく野口。やがてアフリカ黄熱病の病原体研究のために命を懸けてアフリカへ渡ることに…

解説

 福島県で生まれた野口英世は、左手に負った火傷にもめげず、生活の苦しい家の手伝いをしながら必死に勉強する熱心な少年であった。その後医学を志し上京…。やがて世界の医学界に於いて次々と自身の研究成果を発表、ノーベル賞候補となるほどの注目を集める存在になる。そして現在、日本国紙幣にその肖像が描かれている。と、ここらへんは誰もが伝記やなにかで知っていることであるが…。
 医学研究者として日本人なら誰でもが知る偉人、野口英世。その輝かしい功績は現代まで語り継がれ世界に名を残している彼だが、途方もない浪費家で借金魔で結婚持参金を使い果たした挙句に婚約破棄するといった一面はあまり知られていない。そんな人間臭い部分に光を当て、マキノノゾミが人間野口の怒涛の後半生を描く!

―演出意図―
 この作品は、野口英世の偉人伝ではない。女遊びが好きで、金銭感覚疎く、友人が工面してくれた大金を豪遊して使ってしまったり、渡米の資金を得るために婚約して持参金を得ながら、渡米すると、相手方から破談するように画策したりと常識を逸脱したエピソードに事欠かない野口。医療に身を投じた偉人と詐欺師まがいの行為を平気でやってしまう人間・野口英世を突き動かしていたものは何だったのか。「志を得ざれば再び此の地を踏まず」と猪苗代の実家の柱に掘り込んだ言葉や「偉ぐなるのが敵討だ」と公言する野口の心の奥底に何があったのか。日本が誇る偉人・野口英世に、これまでにない角度から光をあて、新しい形の評伝劇を目指したいと考えている。(西川信廣)

同窓会の歴史を訪ねて-その2-(同窓会報第400号より)

広報部・副委員長 福井 雅之

「野口英世記念館」

 東京ではすでに桜の見頃が過ぎてしまった4月中旬の週末,理事会が企画した福島県の「野口英世記念館」視察に同行させていただきました。 続きを読む

「野口英世は死なず ~永遠のノーベル賞候補 最後の帰国から100年~」
UX新潟テレビ21で,血脇守之助・石塚三郎両先生が紹介されました(同窓会報第400号より)

常任理事 小池  修

 平成27年5月2日(土)16:30~17:25,新潟県内でUX新潟テレビ21(テレビ朝日系列)にて「野口英世は死なず ~永遠のノーベル賞候補 最後の帰国から100年」という番組が放送されました。今からちょうど100年前の1915年9月5日,野口英世が15年ぶりに日本に凱旋帰国しました。これを記念してこの番組が企画されました。野口英世が世に出るために尽力した人々,特に本校の血脇守之助および石塚三郎の両先生がどのように野口先生と関わったかを詳細に明らかにしています。
 東京歯科大学および東京歯科大学同窓会は,血脇・石塚両先生の功績をより広く知っていただくチャンスとなるこの番組の意義に賛同し,協賛をしました。新潟県内だけの放送だったのは残念ですが,11月29日の120周年記念祝賀会の記念品として番組を編集した「血脇守之助物語」のDVD を作成中ですので,ご期待ください。それでは,番組の概略をご紹介します。

 野口英世の母シカを,ランプの光の下撮影する石塚三郎。石塚は,写真を添えて帰国を促す手紙を野口に送ります。野口は,母シカの手紙と共にこの写真を見て15年ぶりの日本帰国を決意します。

 ここでレポーターを務める三田村邦彦氏が登場し,三人の人物を紹介します。一人目は野口英世(演じるのは新潟在住昭和61年卒の常木哲哉先生)で,石塚の申し出で新潟と長岡での講演を行ったと語ります。次に血脇守之助が登場し,越後に英語教師として赴任した時に歯科医師という職業を知り,これを目指すこととなりました。野口とは会津に出張診療に訪れた際に初めて出会い,上京したら訪れるよう話をしたとのことです。最後は石塚三郎で,野口と高山歯科医学院時代に起居を共にし,友人として生涯を過ごしたとのことです。写真家としても著名であり,帰国時の野口に同行して撮影し記事を表し,国内でその業績を紹介しました。
 三田村氏の案内で,福島県猪苗代町にある今年4月にリニューアルオープンした野口英世記念館が紹介されます。野口の生家をはじめとして,野口ゆかりの品々が時代に沿って展示され,その生涯と業績をくわしく知ることができます。中でも母シカの手紙の実物が見られ,朗読のナレーションが流れます。さらには細菌学の意義と発展の流れがわかりやすく学べます。
 次に東京歯科大学水道橋校舎に移り,野口が関東大震災の後にニューヨークから大学の激励のために送った「高雅学風徹千古」の書と,学僕時代に授業の開始と終了を知らせるために鳴らした鐘など興味深い品々が紹介されます。

 血脇と会津で知り合った野口は上京し,新潟県長岡市出身の長谷川泰が創立した済世学舎で医学を学んでいましたが,生来の金銭にルーズな性格が災いし生活費を使い果たして高山歯科医学院の血脇を訪ねました。血脇は何とか学僕として寄宿舎に潜り込ませることにしました。ここで石塚と知り合い起居を共にし,生涯の友となりました。医術開業試験に合格すると,北里柴三郎の伝染病研究所に勤務し,細菌学の研究を開始しました。その後,横浜の検疫所でペスト患者を発見するという大きな功績を挙げました。これが評価されアメリカ留学が決まりますが,その直前に渡航費用を使い果たしてしまい,血脇のもとに駆け込んできました。この時のことを高添一郎名誉教授が「絨毯を売り,高利貸しまで使って渡航費用を工面して,獅子がわが子を谷底に突き落とす心境で送り出したろう」と語っておられます。

 ロックフェラー研究所で大きな研究成果を挙げていた野口ですが,1915年生涯一度の凱旋帰国を果たします。日本各地で講演を行った野口は,再渡米前に石塚の誘いにより新潟大学医学部で講演を行い,翌日には長岡市の北越新報社と長岡病院を訪れました。新潟県阿賀野市の吉田東伍記念博物館には,石塚三郎が口述筆記し北越新報社に掲載した野口の生い立ちからの半生を綴った記事のスクラップが保存されています。この記事がその後の野口英世の伝記の元本となりました。また当時の世相を映した約3,000枚のガラス乾板も収蔵されました。石塚は野口の新潟講演を写真と共に記録に残し,後世に伝えることを大きな目的としていたと考えられます。
 血脇守之助は1922年歯学教育制度視察のため渡米し,野口と再会します。野口の計らいでハーディング米大統領を表敬訪問し,野口の後見人として紹介されました。野口は「血脇さんの恩義を忘れたことはありません。そして恩義の帳消しはありません。」と語り,米国滞在中は付き切りでお世話をしました。
 石塚三郎は国会議員も務め,また野口英世記念会の理事長に就任しその顕彰に尽力しました。当時学生時代に石塚三郎邸に下宿していた佐藤泰彦先生(昭和25年卒新潟在住)は「世話好きな好々爺で多くの来客があり,にぎやかでした。それでいて,自らを律し静かな生活をされていました。」と語られました。
 野口英世は帰米後黄熱病の研究に打ち込みますが,黄熱病にり患し道半ばにしてガーナにて死去します。51歳の若さでした。
 野口の死から25年後の1953年,石塚は「わが友野口英世」を出版しました。石塚三郎により撮影されたのは世界に羽ばたいた野口英世,その生涯最良の日々でした。これは未来へと引き継がれる近代日本の記憶となったのです。

(写真提供 UX新潟テレビ21)


「野口英世は死なず ~永遠のノーベル賞候補 最後の帰国から100年~」放送のお知らせ(5月2日(土)16:30~17:25・UX新潟テレビ21)

 5月2日(土)16:30~17:25にUX新潟テレビ21にて「野口英世は死なず ~永遠のノーベル賞候補 最後の帰国から100年~」が放送されます。
 大学および同窓会が全面協力を行い、血脇守之助先生、石塚三郎先生が大きく取り上げられます。
 特に、野口英世先生役はS61卒の常木哲哉先生が演じられます。 続きを読む