100年の時を経た野口英世のカラー写真(同窓会報第401号より)

広報部・副委員長 山口雅史

100年の時を経た野口英世のカラー写真(同窓会報第401号より)

 「野口博士ほど写真のお好きな研究者はいない」とも言われ,我が東京歯科大学にとてもゆかりの深い
野口英世。彼が写るカラー写真が日本人最初のカラー写真だということを皆さまご存じであろうか。

 青地のワイシャツに糊の効いた純白の襟,胸ポケットには黄色の花が挿してある。よほど日差しが強いのか目を細め,左手は見えないようにボーダー(帽子)が置かれ,右手にはしっかりステッキを持っている。また,背景は緑の木々が生い茂り,たいへん鮮やかな赤い花で囲まれている。大正3年に英世から小林栄先生のもとに送られてきたもので,保存状態は大変に良く,この写真は現在猪苗代湖湖畔の野口英世記念館にて展示されている。
 では,いったいいつ誰がどうやって撮ったものであろうか。
 実はイーストマン・コダック社が一般向けカラーフィルムを発売する遙か前,今から100年以上前に「オートクローム・リュミエール(Autochrome Lumière)」というカラー写真技法があった。オートクロームは,フランス人のオーギュスト・リュミエールとルイ・リュミエールの兄弟によって発明され,1903年に特許を取得した。そして1907年に写真乾板の形式で一般に販売が開始され,コダック社がコダクロームを販売する1930年代までは市場ではほぼ唯一のカラー写真の撮影法であった。あまり普及はしなかったが,フランスの銀行家アルベール・カーンがこの製版方法で72,000枚にもおよぶカラー写真を世界各地で撮影させ,20世紀初頭の世界を記録した重要資料として現在も博物館に残っている。そしてリュミエール兄弟はトーマス・エジソンと並び称される映画発明者で,映画の父と呼ばれている。
 この方法は,透明なデンプンの微粒子を「赤」「緑」「青紫」の三原色に染め,これをガラスやフィルターベース上に隙間がないようにモザイク状に散布し,透明なニスでコーティングして固定,その上にパンクロ乳剤を塗布してある。撮影はフィルムの裏側,つまりデンプンスクリーン側から行なうと,3色のスクリーンを透かし同じ色で乳剤が感光し,これを反転現像する。このフィルムを透過光で見ると,デンプンスクリーンを透過したポジカラーが見られる仕組みとなる。従来の三色分解ワンショットカメラ(1度に3枚の乾板を使用)と違って乾板1枚だけで撮影できたので,アマチュアを中心に支持を集めた。
 写真とともに小林 栄先生のもとに送られた大正3年8月8日付の書簡には,「ルミエール氏の発見された現像法により自然色を得ており,友人ゲーツ博士の別荘にて撮影された。赤い花はバラで,胸のボタンに挿したるは菊の一種である」と説明が書かれている。写真はこの年に撮られたものと推定され,当時野口英世37歳であった。この書簡の中には「ご覧になるには晴天の日蒼色の空に向かって御見通し有之べく候」とあるので,故郷の青少年達が世界の最新技術を物珍しげにみなで透かして見ている様子が目に浮かぶようである。100年の時を超えて現存する日本人最初のカラー写真が野口英世だなんてなんだかとても誇らしく思えますよね。