歯科医剣士奮戦す 歴史的勝利挙げる ―全日本剣道選手権大会に同窓の三條先生が出場― /文・花上 健一(平成4年卒・東京歯科大学剣道部監督)(同窓会報424号より)
令和3年3月14日(日),長野県長野市真島総合スポーツアリーナ(ホワイトリング)において第68回全日本剣道選手権大会が開催され,本学剣道部出身の三條恵介先生(37歳,五段)が歯科医師として初の出場。見事初戦を勝利し,歴史にその名を刻みました。
令和3年3月14日(日),長野県長野市真島総合スポーツアリーナ(ホワイトリング)において第68回全日本剣道選手権大会が開催され,本学剣道部出身の三條恵介先生(37歳,五段)が歯科医師として初の出場。見事初戦を勝利し,歴史にその名を刻みました。
はじめに少し,自分とカメラの付き合いについて述べさせていただきます。カメラや写真撮影については,自分の父親が好きで,家にはカメラがいくつもありました。子供のころから,操作が簡単なカメラを見繕ってもらい,使わせてもらっておりました。中学校には幸い写真部があり,暗室が使える環境で写真を楽しんでいました。
昭和62年卒業の自分が東京歯科大学に入学したのは昭和56年,東京歯科大学が千葉に移転した年でした。とはいえ,自分たちの学年は市川進学過程の体育館で入学式に参加をし,移転した夏休みまでの4カ月間を市川で過ごしました
私は学生時代,山岳部に所属しておりました。私の郷里が信州松本であることもあり,山への憧れが山岳部の門を叩かせたわけですが,そこは垂直の世界。ヘルメットをかぶり,互いをザイルで結び合い,岩と雪を攀じる世界でありました。毎回の山行は恐ろしいの一言に尽き,卒業と同時にその恐怖から解放され,うれしかったことを覚えています(笑)。その証拠に,恐怖から逃れた私はその後十数年間,山に行くことはありませんでした。一方の古谷君,学生時代は帰宅部でした。
写真(1)は,昨年の12月2日に日暮里サニーホールでのコンサートに出演した時のものです。
約20年程前になりますが,ひとり息子が通っていた幼稚園の聖マリヤ教会で出会った美しい教会音楽に惹かれ,趣味として声楽を学ぶようになりました。当然のことですが,当時はまさか,このようなオーケストラをバックに,バッハやモーツァルトを歌うなど思いもよらぬ事でした。
そもそも音楽歴はといえば,小学1年生から中学1年までピアノを習っただけ。しかも練習が嫌いだったので,ほとんど上達しませんでしたし,カラオケも苦手,音楽とは無縁の人生だと思ってきたのですが,声楽を始めてからというもの,心の底から湧き出る音楽への愛に目覚め,導かれていきました。
昭和54年卒(弥生会)千葉県支部の鳩貝尚志です。今年は異常気象が続き夏の暑さが非常に厳しかったのですが皆様いかがお過ごしですか。
今回,同期で近隣の三根 豊君がこの3月に歯科医院を閉院し,医院の建物を改装してギャラリーをオープンさせたということなので,ご紹介したいと思います。
彼によると,「歯科医師は眼が命」ということで,歯冠形成,根管治療といった分野で視力の衰えによる臨床の限界を感じ,60歳を区切りに歯科を引退することを考えていたようです。この3月,開業以来35年間ともに苦労を重ねてきた歯科技工士,歯科衛生士も65歳を迎え,閉院の決意をしたとのことです。
本投稿に至るきっかけは,新潟UXテレビ特番『野口英世は死なず~永遠のノーベル賞候補最期の帰国から100年~』に野口英世役で出演したことではなかろうかと。同窓会創立120周年にそのDVD が配布されたのですが,光栄というより汗顔の至りであります。皆さまご存じのように,血脇守之助先生が果たされた功績はあまりにもおおきく,血脇先生と出会わずして,後世に語り継がれるような野口英世はなかったであろうと感じるところであります。
私が高校生の頃,そこそこの街であれば必ずジャズ喫茶がありました。ほとんどのジャズ喫茶にはJBLの大きなスピーカー,大量の漫画本そしてまずいコーヒーがありました。最大の特徴はコーヒー1杯で何時間粘っても決していやな顔をされなかったこと。ジャズには何の興味もなかったのですが勉強嫌いであった私がサボる場所としてジャズ喫茶に入り浸るうち,いつしかジャズファンになっていました。
幼いころから粘土遊びや工作が好きでした。小学生の頃は昆虫や怪獣などを,粘土や紙を使って作っていました。小学6年の時に紙と段ボール箱で作った,身長約110cmのゴジラは,今も頭部だけは大切に保管してあります。
高校生の頃,美術の授業で針金を曲げて骨組みを作り,粘土を盛り上げて人形を作ることを教わりました。もともと,プロレス,格闘技が好きだったので,早速好きなプロレスラーの人形を作成。それからは年に数体ほどの割合で人形を作り続けてきました。
みなさまは100マイルと聞いて何を想像されるでしょうか?1マイルが約1.6キロメートルですので,おおよそ160キロになり,東京からだと軽井沢を軽く越えてしまうほどの距離になります。
山の登り降りを繰り返しながら,この距離で合計では9,000メートルほどの高さを登るようなレース(もっと長くきついものも)が世界にはいくつかあります。足で走ることについてはマラソンなどと一緒ですが最近,日本でもブームのトレイルランニングとして紹介される種目です。
藤関雅嗣先生が歯科補綴学第III講座(主任教授 関根 弘)に残られてからのおつき合いですから,かれこれ30年以上のおつき合いになります。在籍してからすぐにコーヌスクローネに取り組んで,自分で技工をすべて行うという努力家です。浅草で開業後,スタディー・グループ「救歯会」に入会してからは,更に実力を向上させて,欠損補綴の分野ではパーシャルデンチャーからブリッジ,更にインプラントまで幅広く研鑽を積んでこられ,今や第一人者になりました。
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