ふるさと自慢:神田/千代田区(同窓会報411号より)

 千代田支部は千代田区の神田地区の支部です。平成30年1月1日より同窓会,大学の住所に千代田区神田三﨑町と「神田」を冠称しました。

 神田須田町の診療室のあるビルの一階には神田青物市場があったとの碑があります。
 このあたり一帯は江戸・明治・大正時代を通して巨大な青果市場がありました。はじめは青物市が江戸中に分散していたのが,明暦の大火(1657)以降徐々にここに集まってきたといわれています。
 徳川幕府の御用市場として駒込,千住と並び江戸三大市場の随一だったといわれています。水運を利用して神田川沿いの河岸や鎌倉河岸から他市場で見られない優秀な青物が荷揚げされ,約1万5千坪(約4万9500平方米)におよぶ広大な青物市場で商われていました。



 当時の市場では,店が店員の住まいを兼ねていました。現在の市場のイメージと異なり,当時は市場の中に町があったのです。周辺の表通りには野菜や果物を商う八百屋が軒を連ね,威勢のいい商いが行われていました。
 青果市場の別名である「やっちゃ場」はそんな威勢のいい競りのときのかけ声から生まれた言葉だといわれています。
 大正12年(1923)9月関東大震災にあって市場は全滅しましたが,…直ちに復興し東洋一の大市場とうたわれました。その後,昭和3年(1928)には秋葉原西北に,平成2年(1990)には大田区へと移転しました。
 そして,この旧青物市場だけでなく神田,築地市場,大手町,丸の内,日本橋の総氏神様が「神田明神」です。御祭神は大黒様,えびす様,平将門で創建は大手町付近にあり,関ヶ原の戦いで家康が祈祷し勝利したことから,江戸城の表鬼門守護の場所である現在の地に移りました。



 社殿左には,御神木の大公孫樹(おおいちょう)があります。江戸の頃,高台にあるこの大きな木が市場に向かう千葉方面の漁師たちの目印となっていました。関東大震災で社殿は焼けてしまいましたがこの木は残ります。倒木の危険があるため初代は上部を伐採し,現在では二代目が大きく成長しています。


 初詣は毎年30万人,ビジネスマンが会社単位で多く参拝されます。元日を除けば,朝9時ごろは比較的空いています。
 境内には神馬「神幸号」通称あかりちゃんがいます。あし毛の8才牝馬。近くをお散歩することもあります。交通安全のマスコットお守りもあります。



 神田祭りは二年に一度5月の中旬に行われます。山車や神輿など豪華絢爛な行列が各町会をめぐる神幸祭。各町会から神輿が神田明神宮入を目指す神輿宮入など数日間続きます。江戸時代には天下祭として江戸城内まで巡行していました。2007年にも江戸天下祭として全国の山車が集まり皇居前まで巡行しました。
 須田町中部町会は女神輿で女性ならオープン参加です。衣装も一式レンタルしてくれますので,お祭り好きの方はぜひ参加してみてください。

 神田明神では今工事中ですが,2018年12月には,神田明神文化会館,神田明神ホールがオープンします。ここでは,講演会,式典,コンサート,映画上映が可能なようです。

 神田明神鳥居わきの天野屋。地下の蔵で米と麹だけで作った甘酒,柴崎納豆はお勧めです。
 神田明神はお茶の水より徒歩5分程度,水道橋病院からも近いのでこちらの方にお寄りの際はぜひいらしてください。

(平成3年卒 島田 篤)