済生,窮理の治法と血脇イズム ―司馬遼太郎著「胡蝶の夢」を読んで―(同窓会報第398号より)

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2-3 済生と血脇イズム

 済生には平等の思想が隠れています。ポンペの医療は江戸時代の根幹である身分制度に反するものでもあったのです。後に適塾出身の福沢諭吉が「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と書いたのも必然です。また血脇イズム・東歯家族主義とされている「小使いの熊さん」の大正11年の葬儀は,華族制度の存在する当時の学生に感動を持って受け入れられたことだと思います。(コラム1参照)東歯家族主義も済生の流れの中で生じたのではないかと思います。

2-4 オランダ市民社会の伝播

 ところで,話は脇道にそれますが,長崎海軍伝習所の第二次派遣隊は幕府から頼まれた新しい船を回航してオランダから日本までやって来ました。その船の名前は「ヤパン号」,日本名は咸臨丸です。その第二次派遣隊一員として咸臨丸に乗ってポンぺは来たのです。勝海舟や榎本武揚はこの海軍伝習所で学びました。
 士農工商の身分制度と幕藩体制の中で育った伝習生が,海軍の士官と4,5年間接触することにより,オランダの市民社会を理解しました。ポンペはその著書で松本良順達を含む伝習生はここで「生まれ変わった」と書いています。オランダという近代市民国家の中で形成された平等,国民(日本人)という考えが幕藩体制の中で育った伝習生,そしてさらに日本中に伝わったのです。海軍伝習所で学んだ人達は,明治維新とその後の日本発展の礎となりました。


コラム1 東歯家族主義と池田成彬

 仕事に忠実な「小使いの熊さん」が大正11年に亡くなった際,東京歯科で初めての校葬を行ないました。東歯家族主義と称せられているものは,池田成彬に関係がありました。池田成彬をご存じない方に少し説明をいたしますと,血脇の「少年時代からの友人」で三井合名会社の責任者,戦前日本銀行総裁,蔵相,商工相,枢密顧問官を務め,東京歯科の財団法人化に際しても監事を引き受けています。血脇のごく親しい友人です。
 成彬の次男池田潔が「父の泪」という一文を書いています。この中で成彬が話した言葉を抜き書きすると,「…イギリスはその点が少し違うと思う。人間は各々自分の能力に応じた仕事の持場をもって,その与えられた職責にただ最善を尽す。人間の価値を地位の高下で判断せずいかに忠実にその職務を果たしたかによって評価する。でたらめな社長より忠実な小使いを尊敬する,そんな気風が強いと思う。……」この小使いの話は子供たちによくしていた話のようです。デモクラシーを自任する血脇守之助も恐らく池田成彬のこの話を大きくうなずきながら聞いたのではないでしょうか。血脇イズム・東歯家族主義の源流のひとつに池田成彬があります。


3. 窮理

3-1 ポンペは近代西洋医学教育の父

 ポンペの学校(長崎の医学伝習所)のカリキュラムには窮理学(物理学)や舎密学(化学)も含まれていました。「医学の基礎に自然科学がある自然科学と無縁に医学が存在するなどと思うのは,迷蒙もはなはだしい」(胡蝶の夢)というのがポンペの教育でした。生徒たちの中には基礎学を飛び越して臨床の授業だけを聞いた者もいましたが,理解することはできません。ポンペから,基礎の学問から始めて系統的に学んでいくこと,そして患者のベッドサイドで医のアートを教えることを始めました。その教え子達によって日本に西洋医学が定着したので,ポンペは近代西洋医学教育の父と称されています。

3-2 窮理の治法

 司馬遼太郎は,上記のとおり「自然科学にのっとった治療法」とポンペに言わせていましたが,「科学」という言葉は,哲学者の西周によって明治時代初期に始めて使われました。江戸時代にはありません。また窮理という言葉は元々易学そして朱子学の言葉です。その後蘭学の中で使われた窮理は,まったく別の思考原理です。
 辻 哲夫著「日本の科学思想―その自立への模索(こぶし文庫―戦後日本思想の原点)」という本には『「陰陽五行の惑溺を払はざれば窮理の道に入る可からず」福沢諭吉が「文明論之概略」の中でこう書いたとき,…「陰陽五行」が,ながく日本の知性を低迷させてきた悪習として告発され,他方「窮理の道」は,これから日本の将来をもゆだねるべき新しい文明精神の指標なのである。』と書いてあります。さらに「いま福沢があらためて「窮理」をとなえたとき,…窮理は物理学を想定した言葉なのであり,かれとしては,より広く近代科学,あるいはそれを基盤として成立している西欧の文明精神を,ここに結びつけて考えている。」このように福沢は窮理という言葉に,新しい西欧の文明精神を想定しています。このように考えた時,窮理の治法は,西欧の文明精神の医学といって良いのではないでしょうか。またポンぺに習った生徒達の感動をも「窮理の治法」は伝えていると思います。
 また同時に,「胡蝶の夢」の中で主人公の一人関寛斎に「私の医方は世界に通用するものだ」という誇りを語らせてます。ポンペから習った医学に自信と誇りを持っていました。


4. 石黒忠悳と血脇の結びつき >>