会員往来」カテゴリーアーカイブ

【追悼】植物学者 淺井康宏先生(昭和33年卒)のご紹介:帰化植物に魅せられて/渡邊 宇一(昭和63年卒)(同窓会報430号より)

淺井康宏名誉教授におかれては,令和4年8月17日,89歳で逝去された。
淺井先生は歯科医学の学者である一方,帰化植物の調査・研究に生涯を捧げられた植物学者でもあった。先生は一昨年(2020年),これまでのご研究の集大成として「エイリアン植物記」という本を上梓された。また昨年(2021年),NHKのラジオ深夜便「心に花を咲かせて-帰化植物を探求して75年ー」に出演された。

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世界の野生動物写真集を発刊して/笠原 正行(昭和41年卒)(同窓会報429号より)

写真:ネパール,ジョムソン街 道のプーンヒルにて

【経歴】1940年(昭和15年)生まれ 満82歳 昭和41年卒(踏志会)
在学中はワンダーフォーゲル部に所属
大学卒業後は信州大学医学部で研修,笠原歯科を継承
2001年には日本百名山登頂達成写真撮影は現在も続けている

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ボストン留学記/宮本 眞弓 (旧姓 尾上・平成6年卒)(同窓会報427号より)

 東京歯科大学を卒業後,補綴第三講座に所属し専修科修了。千葉病院補綴科病院助手,水道橋病院補綴科病院助手を経て,97年9月に留学準備に入り渡米。98年2月よりアメリカ,ボストンで留学開始。現在はボストン大学で診療と教育に携わり,ボストン日本祭りの実行委員,フードブースのチームリーダー。

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コロナ禍なれど 天草の自然を楽しむ/松田 光正(熊本県天草市・昭和60年卒)(同窓会報425号より)

松田先生からひとこと

 昭和60年に卒業と同時に帰郷し,大学病院や開業医での勤務を経て祖父の代からの医院を継承しましたが,ふと気がつけば35年が過ぎ,昨年還暦を迎えました。臨床は卒業直後から故添島義和先生(昭和37年卒)が主宰されていた熊本デンティストミーティング(KDM)なるスタディグループで月2回の研修を現在まで続けていますが,昨今のコロナ禍でご他聞にもれず1年以上もオンライン例会ばかりとなり,天草での蟄居生活が続いています。したがって否が応でも休日は天草の自然を満喫せざるを得ないのですが,本稿ではそんな田舎歯科医のスローライフを綴ってみたいと思います。


歯科医剣士奮戦す 歴史的勝利挙げる ―全日本剣道選手権大会に同窓の三條先生が出場― /文・花上 健一(平成4年卒・東京歯科大学剣道部監督)(同窓会報424号より)

 令和3年3月14日(日),長野県長野市真島総合スポーツアリーナ(ホワイトリング)において第68回全日本剣道選手権大会が開催され,本学剣道部出身の三條恵介先生(37歳,五段)が歯科医師として初の出場。見事初戦を勝利し,歴史にその名を刻みました。

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カメラとプロダクトデザイン/関根 秀志(昭和62年卒)

 昭和62年卒(爽翔会)の関根秀志です。本年度から東京歯科大学クラウンブリッジ補綴学講座の所属となりました。ごあいさつを兼ねまして,趣味と実益を兼ねます自分とカメラとの付き合いを紹介させていただきます。


 はじめに少し,自分とカメラの付き合いについて述べさせていただきます。カメラや写真撮影については,自分の父親が好きで,家にはカメラがいくつもありました。子供のころから,操作が簡単なカメラを見繕ってもらい,使わせてもらっておりました。中学校には幸い写真部があり,暗室が使える環境で写真を楽しんでいました。
 昭和62年卒業の自分が東京歯科大学に入学したのは昭和56年,東京歯科大学が千葉に移転した年でした。とはいえ,自分たちの学年は市川進学課程の体育館で入学式に参加をし,移転した夏休みまでの4カ月間を市川で過ごしました。
 学生時代,自分は故見明 清教授が率いておられました写真部に所属していました。現像や紙焼き操作を練習する合宿や撮影会,写真展示など活発に活動しておりました。千葉校舎に移りましてからは,現在では臨床研修医・臨床実習生の宿泊施設となっております合宿棟に,部室と暗室の2区画を写真部で使用させていただくことができ,昼間も光が漏れない暗室を存分に使用できるようになりました。 続きを読む

大人の山岳部/笠原 正貴(平成7年卒)

 平成7年卒(百期会),東京歯科大学薬理学講座の笠原正貴です。このたびは,同級生で山の相棒・古谷義隆君(口腔インプラント学講座)との登山の記事を書く機会を頂きましたので,簡単ではありますが紹介をさせていただきます。


 私は学生時代,山岳部に所属しておりました。私の郷里が信州松本であることもあり,山への憧れが山岳部の門を叩かせたわけですが,そこは垂直の世界。ヘルメットをかぶり,互いをザイルで結び合い,岩と雪を攀じる世界でありました。毎回の山行は恐ろしいの一言に尽き,卒業と同時にその恐怖から解放され,うれしかったことを覚えています(笑)。その証拠に,恐怖から逃れた私はその後十数年間,山に行くことはありませんでした。一方の古谷君,学生時代は帰宅部でした。 続きを読む

音楽に導かれて/竹元 ゆうき(昭和57年卒)

 写真(1)は,昨年の12月2日に日暮里サニーホールでのコンサートに出演した時のものです。
 約20年程前になりますが,ひとり息子が通っていた幼稚園の聖マリヤ教会で出会った美しい教会音楽に惹かれ,趣味として声楽を学ぶようになりました。当然のことですが,当時はまさか,このようなオーケストラをバックに,バッハやモーツァルトを歌うなど思いもよらぬ事でした。
 そもそも音楽歴はといえば,小学1年生から中学1年までピアノを習っただけ。しかも練習が嫌いだったので,ほとんど上達しませんでしたし,カラオケも苦手,音楽とは無縁の人生だと思ってきたのですが,声楽を始めてからというもの,心の底から湧き出る音楽への愛に目覚め,導かれていきました。 続きを読む

歯科医院からギャラリーへ/三根 豊(昭和54年卒)

 昭和54年卒(弥生会)千葉県支部の鳩貝尚志です。今年は異常気象が続き夏の暑さが非常に厳しかったのですが皆様いかがお過ごしですか。
 今回,同期で近隣の三根 豊君がこの3月に歯科医院を閉院し,医院の建物を改装してギャラリーをオープンさせたということなので,ご紹介したいと思います。
 彼によると,「歯科医師は眼が命」ということで,歯冠形成,根管治療といった分野で視力の衰えによる臨床の限界を感じ,60歳を区切りに歯科を引退することを考えていたようです。この3月,開業以来35年間ともに苦労を重ねてきた歯科技工士,歯科衛生士も65歳を迎え,閉院の決意をしたとのことです。 続きを読む

『歯医者 役者 果報者 ~人間万事塞翁が馬~』/常木 哲哉(昭和61年卒)

常木哲哉先生のご紹介

 常木先生は昭和61年にご卒業され,現在は新潟で実家を継ぎ歯科医師としてご活躍されております。学生時代より多趣味でありましたが最近は地元の劇団に入りテレビや映画にも出演されていて日々楽しんでおられる常木先生をご紹介いたします。

(広報委員会副委員長 福井雅之)

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