「2015 TDCアカデミア 卒後研修」ページに、「2015 TDCアカデミア 卒後研修 ご案内ポスター」を掲載しました。 「2015 TDCアカデミア 卒後研修」 >>
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「同窓会紹介」に、「東京歯科大学同窓会案内(2015年版)」を掲載しました。 「同窓会紹介」 >>
第1回 高山歯科医学院院友会(現東京歯科大学同窓会)
明治28年6月16日 於 芝高輪 料理茶屋「万清楼」(同窓会報第399号より)
【急告】第2回社会保障制度研究会ご案内(2015年3月4日(水))
/カテゴリ: セミナー・講演会/作成者: TDC-alumni-koho-hp平成26年11月安倍内閣は、消費税の増税の先送りを決定いたしました。この決定は今後の社会保障制度改革にいかなる影響を与えていくのでしょうか?
第2回 社会保障制度研究会 「医療経済の基礎を学ぶ」 |
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講師: | 川渕 孝一 教授(東京医科歯科大学大学院 医療経済学分野) |
日時: | 2015年3月4日(水) 19:00~ |
場所: | 東京歯科大学 水道橋校舎南棟6F |
参加費: | 無料 |
「東京歯科大学同窓会創立120周年記念事業」ページを掲載しました。関連事業の詳細、または、記念式典などの詳細が決まり次第、こちらへ随時掲載いたします。 「東京歯科大学同窓会創立120周年記念事業」ページ > […]
高山紀齋の生涯(同窓会報第398号より)
/カテゴリ: 同窓会創立120周年記念/作成者: TDC-alumni-koho-hp 昨年同窓会創立120周年記念準備委員会ができそのテーマを決める際に「高山イズム,血脇イズムとは何か」ということから始まりました。
学生時代から今まで耳にしたことはありましたが真剣に考えたこともありませんでした。また,大学の起源や同窓会がどのように設立されたのか全く興味もありませんでした。おそらく多くの皆さんもそうでしょう。
歯科大学に入り歯科医師となり普通に診療を行い歯科医師会等にも参加してきました。そこで他大学の方から「東京歯科の卒業生はどこか違うね」とよく言われてきました。そのことがずっと気になってはいました。ちょうど良い機会だからそのルーツについて少し考えてみようと思いました。
そもそも120年以上の歴史をもつ歯科大学なんか他にないのですから。
済生,窮理の治法と血脇イズム ―司馬遼太郎著「胡蝶の夢」を読んで―(同窓会報第398号より)
/カテゴリ: 同窓会創立120周年記念/作成者: TDC-alumni-koho-hp1. 校歌は血脇イズムの歌
「医はこれ済生,ひとえに仁なり♬…」同窓会創立120周年のテーマは,この校歌の一節です。120年の歴史の中で同窓の胸を熱くし,感動を持って語られてきたものが血脇イズムです。なかでも昭和始めの校旗・校歌制定会,校舎建設の頃の学生には,この高揚感を強く感じます。
東京歯科大学百年史 p.134には,学生が校歌の歌詞を北原白秋にお願いしましたが,なかなか歌詞ができてきません。そこで「全校の教職員,学生600人は,各自1枚ずつの作詞を促す葉書を白秋にしたため熱心に働きかけました。」北原白秋は「私は校歌をいくつも作ったが,こんなに感激して作ったことはいちどもない。この学校の人たちほど,こんな熱心な,猛烈な連中は見たことがない……」
白秋は東京歯科の校歌をつくる時,はたと困ってしまったそうです。なぜなら「水道橋には何も景色などありやしない。」からでした。苦慮した後に「この学校において歌うべきものはチワキズムである。」と。したがって,東京歯科大学の校歌は血脇イズムの歌です。そしてこの頃の学生の精神の高揚感を表していると思います。
というわけで,血脇イズムの重要な言葉として「済生」や「窮理」を考えるべきだと思います。しかしながら字面通りの「生命をすくう」,「理を窮める」ことでは学生の心に宿った熱い心は表現されていません。少なくとも違和感があります。最近,司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読んだところ,「済生」「窮理の治法」の心を熱くする意味について一つの「手掛かり」を見つけましたのでご紹介いたします。
血脇守之助が三条に滞在しなかったら東京歯科大学の血脇守之助は無かった(同窓会報第397号より)
/カテゴリ: 同窓会創立120周年記念/作成者: TDC-alumni-koho-hp 新潟県の中央部の信濃川沿いに,金属加工や刃物の町として有名な三条市がある。その街で昨年の9月8日町並み探検隊という市民団体の主催で,「血脇守之助と野口英世と三条」という講演会が,三条市立図書館で開催された。講師は吉田東伍記念博物館の副館長渡辺史生さん・実質的には館長。
この博物館は磐越西線が通る阿賀野市の安田町にあって,吉田東伍博士(日本歴史地理学者,『大日本地名辞書』の著者)を記念して建てられた博物館で,後でお話しする石塚三郎が明治,大正,昭和にかけて撮った三千枚以上のガラス乾板写真と血脇や石塚の資料を多く所有している。
渡辺さんはこれらの写真や資料を基に,「血脇守之助が歯科医師を目指したことに三条が大きく関わっている。血脇守之助が三条に滞在しなかったら,医聖野口英世は生まれていない」と言い切った。
各位、 毎月第2水曜日開催の「TDC研修倶楽部」について、2月11日(水)は祝日のため、2月9日(月)に日程変更し開催いたします。 ●TDC研修倶楽部 第2水曜日 19:30〜 2月11日(水)19:30〜 ⇒ 2月9 […]