横浜検疫所旧細菌研究室をめぐる野口英世,血脇守之助(同窓会報第401号より)

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 さて野口は牛荘へ赴くが,清国の社会情勢が悪化したために,早々に帰国。翌年,野口は悲願とも言うべき米国行きを実現させるが,ここでもまた生来の放蕩性と浪費癖のため,出帆前に横浜随一の貸座敷「神風楼」で大散財し,無一文。またまた恩師血脇先生のもとを訪れる。

 再び血脇先生の著によると,「出帆の數日前,彼は友人達と送別の宴をくみ交したが,その折,またまたあれほど苦心した渡米費を一夜のうちに費ひ果してしまつたのである。あまりのことに一時は腹も立つたが,怒つたところで金が返つて來るわけではない。出帆は迫つてゐる。已むなく自分は生れて始めて高利貸から三百圓の借金をして彼の渡米費にした」,と記されている。

 このような野口を血脇先生は同著で,「異常なまでに努力家であった彼が,而も貧困の家に育ちながら,ひどい浪費癖をもつてゐたといふのはどういふわけであらう。(中略)こゝに書くことを憚るやうなところにも出入した。さうしてせつぱつまつては私の所に無心に來た。また小學校時代の友人にも度々借金した。私の周圍のものは,あんな不品行な男に際限なく學費をつぎこむのは馬鹿げてらの忠言を聞き流した」,と記した。

 更に「血脇守之助傳」には,野口に対する思いを「人それぞれに,おのずから異なった天分がある。如何なる潮流に処しても,学徒の本分を守ってよく学ぶものには批難すべき理由がない。野口は稀代の天才児で,これを型にはめすぎて一律にすることは,彼の天分を大成させる所以ではない」と大いなる嘱望の言とともに書かれている。血脇先生の野口に寄せる信頼は絶対的なものであったようだ。

 旧細菌学研究室は野口英世の数々の輝かしい業績を讃え,今なお静かに緑に囲まれて建っている。ここに佇み血脇先生や野口先生の活躍した時代に思いを馳せ,往時を偲ぶのもまた一興である。

 旧細菌学研究室の左隣には,長浜ホールがあり,玄関には等身大の野口英世の写真が飾られ,入館者を出迎えてくれる。そして館内には野口英世ゆかりの品々が陳列,展示されている。

 右隣は,輸入食品の検疫を行っている横浜検疫所で,こちらにも門扉脇に野口英世のモニュメントが建つ。現役施設なので通常は立ち入れないが,年に1回公開日があり,内部の旧施設を見学することができる。