十二期会(昭和39年卒・69期)/第56回大会

 コロナ禍で3年間中断した『十二期会』は昨年再開(横浜市)しました。本年からは遠隔地(青森・福岡等)からの参加者も前泊なしで参加可能になるプランにしました。第56回となる本年は会員15名・奥方3名の18名が10月2日11時に東京駅八重洲南口に集合し,10月とは思えない猛暑の中を鍛冶橋駐車場からバスで豊洲市場へと向かいました。豊洲市場は「水産卸売場」も「仲卸売場」も既に朝の行事が終わり,見学者のみが3階の見学通路を埋めていました。この光景は織り込み済みで,「豊洲市場の概観を見る」目的を果たして早々に引き上げ,築地の「すし店」で昼食を摂った後,国会へと向かいました。
 今回の一番の目的である「国会見学」は,我々の同窓である島村大参議院議員(の女性秘書)と綿密な連絡をとり,当日は見学のみならず議員本人と懇談をして忌憚のない意見交換をすることになっていました。しかし,全く予期せぬ『島村 大参議院議員逝去』の報が8月31日に舞い込みました。かつて愚生と共に本部同窓会で“大さん”と一緒に役員を務めた後輩からの電話でした。何と大切な人を失ってしまったことか,母校のみならず歯科界にも地元にも大きな損失となりました。
 しかし,議員本人が不在になったにも拘わらず献身的な対応をしてくださり,通常の「ツアー」では見学不可能な場所まで案内してくださった上に,秘書のお一人には仲間の車椅子の介助までしていただきました。秘書さんの話の端々に島村議員の人柄が偲ばれ,医療のみならず広範に亘って国家の行く末を考えていたことも伺いました。
 暑さが依然収まらない夕刻,国会からほど近い都市センターホテルに落ち着きました。夕食前のひと時,金子 譲君(元学長・理事長)による短時間の講話『命運を決めた一票』を聞きました。終戦直後に歯科医学専門学校が『六年制大学』に昇格する際の,母校の先達「奥村鶴吉」の活躍に関する “逸話”です。
 夕食宴会の冒頭『十二期会も来年を最後に終了にしたら如何か』との幹事提案は,大多数の『反対』によって否決されてしまいました。そして次回は『ゴールデンウィーク直後』の開催が決まりました。80代半ばを迎えた者・過ぎた者,この“老青年”達にはまだまだ“フレイル”に打克つ気概がある様です。

(片倉 恵男 記)