巻頭言/新型コロナ禍で思うこと

信越地区理事 青木篤敬
信越地区理事
青木篤敬

(東京歯科大学同窓会会報 令和5年10月号/第433号より)

 私は信越地域支部連合会会長で,青木篤敬(あつゆき)と申します。今回は,この巻頭言の執筆を担 当することとなりました。宜しくお願いいたします。
 まず,ここ数年の医療現場で思うことは,やはり新型コロナウイルス感染症のことです。あの時我々は,行き場のない不安,焦燥感にさいなまれていたと思うのです。この様な時にどう生きていけば良いのか,といった問題を考えてみたいと思います。我々は,いつ終わるのかも分からず,過去に経験したことがなく,対処方法治療方法も確立されていない,答えの見つからない状態,そういうものに遭遇しました。しばしば「出口が見えない」とも言われました。そして,時間的にも空間的にも閉ざされた状態の中に閉じ込められていました。
 こう考えてくると,思い出すのはカミュですね。ここで参考にしたいのは,エッセイ「シーシュポスの神話」です。これは数ページですので5分で読み終わります。是非お読みください。このような出口の見えない,正解が見つからない,あるいは人によってそれぞれ違う答えがある,こういうものはもっと幅広く考える必要があると思うのです。
 内容は,ギリシャ神話の話です。シーシュポスという人物がいました,彼は神々に対して罪を犯し,罰せられます。罰は,巨大な石を転がしながら山の頂上に持っていくというものでした。しかし,山につくと,途端に石はふもとに転がり落ちてしまいます。仕方がなく彼はまた麓に戻り石を山に上げます。また落ちてしまい。また持ち上げて…。これを永遠に続けるという罰でした。終わりのない,答えの見えない,この罰は究極の刑罰ともいえるでしょう。「無益で希望のない労働」「全身全霊をうちこんで,しかも何物も成就されない責苦」そしてカミュはこう述べています「今日の労働者は生活の毎日毎日を,同じ仕事に従事している。その運命はシーシュポスに劣らず不条理だ」
 この「不条理」とは,
 「条」とは筋道,筋道を立てて述べること
 「理」も筋道,あるいは物事のそうでなければならない筋道 正しい判断
 つまり,不条理とは不合理,さらにこの世界の中で何らかの意味を見出そうとしてもうまくいかない,不可能である,といった意味です。論理的に物事を考えても,答えが出ない,ということです。新型コロナ禍の状況もまさにこのような不条理の状態であったといえます。世の中にはこんな不条理な問題がいろいろあります。カミュは答えらしきものをはっきりとは書いていませんが,私の解釈は,誠実に,努力することにこそ,人生の幸せは見いだせるのだ。自分で考え,不合理に対して自分の答えを見出すこと,ということのようです。当たり前のことのようですが,どうですか,皆さんはどう解釈しますか。