巑驥会は,平成21年4月12日に開催して以後,老齢化を理由に正式には開催しないこととした。それから既に6年弱が経過した。最近,足代弘文君と電話で話した時,正式ではなくとも出席を希望する会員が集って巑驥会を開催したらどうかとの提案があった。何かご意見があったらご連絡下さい。
昨年7月に同期生の元学長石川達也君のお通夜のとき足代弘文君,近藤安司君,松本圭司君の3人と会ったが,こんなときにしか同期生と会わなくなったのかと思うとき,寂しさを感じた。
最後の巑驥会のとき各クラスの世話人は,全員で7名であった。しかし,その後椎名統次君,松村久夫君,佐藤忠男君が亡くなり,今は4名になってしまった。昨年暮に発刊された東京歯科大学同窓会会員名簿によれば,我々大学卒の先輩である一期生と二期生の先生方は,既に半数以上が亡くなられている。これに対し巑驥会の会員は,卒業当時98名であるが,現在でも名簿によれば,生存者数54名,亡くなられた会員は44名で,生存者の方が多い。ところが名簿発刊後,11月に田中陽一郎君,12月に青柳 信君,佐藤忠男君の3名が亡くなられた。それでも生存者数51名で,亡くなられた会員数よりも多い。
今回,巑驥会の記事を会報に掲載するに当って数名の同期生に電話したところ現在でも現役として活躍している人,既に閉院したが悠々自適の生活を楽しんでいる人,一方,少々体調を崩し静養している人など様々であった。
我々は,昭和23年春に東京歯科大学予科に入学し,市川の校舎に通ったが,当時は予科を修了しただけで,中学の教員の免許を取得することができ,この道を歩んだ同僚もいる。また俳優座に入団し,有名になった同僚もいる。我々の時代400mのトラックをもつ運動場の土地には,現在,市川総合病院が建設され,私は,高血圧と糖尿病でお世話になっている。
現在大学は,我々の予科時代に当る教養課目の約2年の教育を,水道橋病院の前の坂を登っていった。お茶の水駅に近い,さいかち坂校舎で行っているようだ。かつての千葉稲毛の校舎は,病院のみが残り診療を行っているという。歯科の専門教育は,神保町寄りに建てられた新校舎で行われ,診療実習は,水道橋駅に近接する元の大学のところに建設された校舎内の病院で行われているようだ。そして更に我々がよく食事に通っていたトミー食堂の横に西棟が数年後に建設され,すべてが完成するという。
私事ですが,大学を退職して17年になりますが,千葉で日本小児歯科研究会を年4回,東京で町田塾を年2回開催し,全国各地から開業医の先生が参加しています。また退職後に咬合誘導に関する著書を2冊,乳歯歯内療法の著書を1冊出版しました。今年1月には7つ星の列車に乗って九州を旅行してきました。皆さんにお奨めのコースです。
(町田 幸雄 記)