八紫会(昭和35年卒)/南九州クラス旅行

 平成22年10月に横浜で卒後50周年を祝い,大勢の出席を得た総会で,八紫会としての総会と会費徴収は今年度をもって終了し,弔慰金のみは蓄積されている会費で補足するとの決定がなされた。しかし,これをもって50年間に渉って毎年必ず行ってきた同期会が消失するわけでは勿論なく,平成23年も九州の学友(熊本の中根俊吾,佐賀の飯田正一,長崎の渡邊修志,鹿児島の中村逸朗)各君の御骨折りで南九州のクラス旅行を行った。

 平成23年10月8日夕刻,熊本のホテル日航で,参加者全員が集合。総会はないが,過去1年間で鬼籍に入られた(阿比留次郎,川上強逸,菊池成幸,酒井眞一,渡辺作一朗)各君の冥福を祈って全員で黙祷したのち,懇親会に入った。席上,仙台の花岡十弘君が3月11日のあの震災にふれ,実姉を津波でなくされた気持ちを切々と述べられたことに,全員が深く打たれ,それにも拘わらず遠路出席されたことに深い共感をおぼえたことだった。

 翌9日は,全員で熊本城に見学に赴き天下の名城の威容に圧倒された。城中では,武士の食事たる本丸御膳をいただいたが,アルコールなしのためか,やや不足感があったなという感じ。午後は,完成したばかりの九州新幹線で鹿児島に向かう。新車輌は,やや巾広い感じでゆったりしている。新青森から鹿児島中央まで,新幹線が開通したわけで,旅行好きには誠によろこばしいことであろう。鹿児島からはバスで,知覧特攻平和会館を訪れたが,かつて年若い俊英たちが出発前に,特に母親に残した手紙,遺書等を眼の前にして,その世代を理解できる我々の目には光るものがあった。特攻隊出発の目印だったという1,000メートル近い開聞岳を目近に見て,指宿温泉に向かい,当地の一流ホテルに宿泊することに。有名な砂蒸し風呂で逆上がった頭と体に鞭打ち親睦会に臨んだ。中村君差し入れの「同期の桜」という焼酎に舌鼓を打ち,地元の料理とおねえさん達(オバサンかな)の踊りで,深更にまで会が続いたのは論をまたない。曽ての同期会のように,歯科医学に対する熱っぽい議論を仕掛けるものは誰もいない。今日まで,半世紀に渉って仕事をやりぬいてきた満足感からか,後継者に全てを任せた余裕からか,皆,しっとりと落付いた人生感の持ち主に変わってきたように思われた。

 翌10日は,当地解散し,空港からとびたったり,九州の人々は電車等で,各人帰路についた。2泊3日の短い期間だったが,普段は仲々会えないような仲間達も心から満足したような旅だった。御苦労された九州の仲間達には心から感謝します。

 24年度の予定は現在まで未だ決定されていない。八紫会開催を引き受けてくれる人はいる。いずれ同窓会報上に発表されると思われるから楽しみにしていて下さい。

(宮下恒太 記)