タグ別アーカイブ: 第398号

「野口英世は死なず ~永遠のノーベル賞候補 最後の帰国から100年~」
UX新潟テレビ21で,血脇守之助・石塚三郎両先生が紹介されました(同窓会報第400号より)

常任理事 小池  修

 平成27年5月2日(土)16:30~17:25,新潟県内でUX新潟テレビ21(テレビ朝日系列)にて「野口英世は死なず ~永遠のノーベル賞候補 最後の帰国から100年」という番組が放送されました。今からちょうど100年前の1915年9月5日,野口英世が15年ぶりに日本に凱旋帰国しました。これを記念してこの番組が企画されました。野口英世が世に出るために尽力した人々,特に本校の血脇守之助および石塚三郎の両先生がどのように野口先生と関わったかを詳細に明らかにしています。
 東京歯科大学および東京歯科大学同窓会は,血脇・石塚両先生の功績をより広く知っていただくチャンスとなるこの番組の意義に賛同し,協賛をしました。新潟県内だけの放送だったのは残念ですが,11月29日の120周年記念祝賀会の記念品として番組を編集した「血脇守之助物語」のDVD を作成中ですので,ご期待ください。それでは,番組の概略をご紹介します。

 野口英世の母シカを,ランプの光の下撮影する石塚三郎。石塚は,写真を添えて帰国を促す手紙を野口に送ります。野口は,母シカの手紙と共にこの写真を見て15年ぶりの日本帰国を決意します。

 ここでレポーターを務める三田村邦彦氏が登場し,三人の人物を紹介します。一人目は野口英世(演じるのは新潟在住昭和61年卒の常木哲哉先生)で,石塚の申し出で新潟と長岡での講演を行ったと語ります。次に血脇守之助が登場し,越後に英語教師として赴任した時に歯科医師という職業を知り,これを目指すこととなりました。野口とは会津に出張診療に訪れた際に初めて出会い,上京したら訪れるよう話をしたとのことです。最後は石塚三郎で,野口と高山歯科医学院時代に起居を共にし,友人として生涯を過ごしたとのことです。写真家としても著名であり,帰国時の野口に同行して撮影し記事を表し,国内でその業績を紹介しました。
 三田村氏の案内で,福島県猪苗代町にある今年4月にリニューアルオープンした野口英世記念館が紹介されます。野口の生家をはじめとして,野口ゆかりの品々が時代に沿って展示され,その生涯と業績をくわしく知ることができます。中でも母シカの手紙の実物が見られ,朗読のナレーションが流れます。さらには細菌学の意義と発展の流れがわかりやすく学べます。
 次に東京歯科大学水道橋校舎に移り,野口が関東大震災の後にニューヨークから大学の激励のために送った「高雅学風徹千古」の書と,学僕時代に授業の開始と終了を知らせるために鳴らした鐘など興味深い品々が紹介されます。

 血脇と会津で知り合った野口は上京し,新潟県長岡市出身の長谷川泰が創立した済世学舎で医学を学んでいましたが,生来の金銭にルーズな性格が災いし生活費を使い果たして高山歯科医学院の血脇を訪ねました。血脇は何とか学僕として寄宿舎に潜り込ませることにしました。ここで石塚と知り合い起居を共にし,生涯の友となりました。医術開業試験に合格すると,北里柴三郎の伝染病研究所に勤務し,細菌学の研究を開始しました。その後,横浜の検疫所でペスト患者を発見するという大きな功績を挙げました。これが評価されアメリカ留学が決まりますが,その直前に渡航費用を使い果たしてしまい,血脇のもとに駆け込んできました。この時のことを高添一郎名誉教授が「絨毯を売り,高利貸しまで使って渡航費用を工面して,獅子がわが子を谷底に突き落とす心境で送り出したろう」と語っておられます。

 ロックフェラー研究所で大きな研究成果を挙げていた野口ですが,1915年生涯一度の凱旋帰国を果たします。日本各地で講演を行った野口は,再渡米前に石塚の誘いにより新潟大学医学部で講演を行い,翌日には長岡市の北越新報社と長岡病院を訪れました。新潟県阿賀野市の吉田東伍記念博物館には,石塚三郎が口述筆記し北越新報社に掲載した野口の生い立ちからの半生を綴った記事のスクラップが保存されています。この記事がその後の野口英世の伝記の元本となりました。また当時の世相を映した約3,000枚のガラス乾板も収蔵されました。石塚は野口の新潟講演を写真と共に記録に残し,後世に伝えることを大きな目的としていたと考えられます。
 血脇守之助は1922年歯学教育制度視察のため渡米し,野口と再会します。野口の計らいでハーディング米大統領を表敬訪問し,野口の後見人として紹介されました。野口は「血脇さんの恩義を忘れたことはありません。そして恩義の帳消しはありません。」と語り,米国滞在中は付き切りでお世話をしました。
 石塚三郎は国会議員も務め,また野口英世記念会の理事長に就任しその顕彰に尽力しました。当時学生時代に石塚三郎邸に下宿していた佐藤泰彦先生(昭和25年卒新潟在住)は「世話好きな好々爺で多くの来客があり,にぎやかでした。それでいて,自らを律し静かな生活をされていました。」と語られました。
 野口英世は帰米後黄熱病の研究に打ち込みますが,黄熱病にり患し道半ばにしてガーナにて死去します。51歳の若さでした。
 野口の死から25年後の1953年,石塚は「わが友野口英世」を出版しました。石塚三郎により撮影されたのは世界に羽ばたいた野口英世,その生涯最良の日々でした。これは未来へと引き継がれる近代日本の記憶となったのです。

(写真提供 UX新潟テレビ21)


高山紀齋の生涯(同窓会報第398号より)

高山イズム血脇イズム

高山紀齋先生

 昨年同窓会創立120周年記念準備委員会ができそのテーマを決める際に「高山イズム,血脇イズムとは何か」ということから始まりました。
 学生時代から今まで耳にしたことはありましたが真剣に考えたこともありませんでした。また,大学の起源や同窓会がどのように設立されたのか全く興味もありませんでした。おそらく多くの皆さんもそうでしょう。
 歯科大学に入り歯科医師となり普通に診療を行い歯科医師会等にも参加してきました。そこで他大学の方から「東京歯科の卒業生はどこか違うね」とよく言われてきました。そのことがずっと気になってはいました。ちょうど良い機会だからそのルーツについて少し考えてみようと思いました。
 そもそも120年以上の歴史をもつ歯科大学なんか他にないのですから。 続きを読む

済生,窮理の治法と血脇イズム ―司馬遼太郎著「胡蝶の夢」を読んで―(同窓会報第398号より)

済生,窮理の治法と血脇イズム ―司馬遼太郎著「胡蝶の夢」を読んで―(前編)/三友 和夫(昭和54年卒)
三友 和夫(昭和54年卒)

1. 校歌は血脇イズムの歌

 「医はこれ済生,ひとえに仁なり♬…」同窓会創立120周年のテーマは,この校歌の一節です。120年の歴史の中で同窓の胸を熱くし,感動を持って語られてきたものが血脇イズムです。なかでも昭和始めの校旗・校歌制定会,校舎建設の頃の学生には,この高揚感を強く感じます。
 東京歯科大学百年史 p.134には,学生が校歌の歌詞を北原白秋にお願いしましたが,なかなか歌詞ができてきません。そこで「全校の教職員,学生600人は,各自1枚ずつの作詞を促す葉書を白秋にしたため熱心に働きかけました。」北原白秋は「私は校歌をいくつも作ったが,こんなに感激して作ったことはいちどもない。この学校の人たちほど,こんな熱心な,猛烈な連中は見たことがない……」
 白秋は東京歯科の校歌をつくる時,はたと困ってしまったそうです。なぜなら「水道橋には何も景色などありやしない。」からでした。苦慮した後に「この学校において歌うべきものはチワキズムである。」と。したがって,東京歯科大学の校歌は血脇イズムの歌です。そしてこの頃の学生の精神の高揚感を表していると思います。
 というわけで,血脇イズムの重要な言葉として「済生」や「窮理」を考えるべきだと思います。しかしながら字面通りの「生命をすくう」,「理を窮める」ことでは学生の心に宿った熱い心は表現されていません。少なくとも違和感があります。最近,司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読んだところ,「済生」「窮理の治法」の心を熱くする意味について一つの「手掛かり」を見つけましたのでご紹介いたします。 続きを読む

ふるさと自慢:「路地の匂い」/本郷(同窓会報398号より)

国立国会図書館蔵の浮世絵歌川広重画【本郷】で昔の赤門(加賀藩前田家上屋敷)の様子をうかがい知ることができます。
HP:http://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail202.html

 小,中,高,大学,地区歯科医師会と,ずっと先輩の方から昨日,同窓会会報に掲載する原稿依頼の又依頼が飛び込んできて四苦八苦。今原稿用紙に向かっています。(パソコンが使えませんので,笑)
 本郷支部のあるこの地域は東京ドームシティー,世界に冠たる東京大学,名勝六義園,湯島聖堂,根津神社,学問の神様菅原道真を祀る湯島天神など都会ならではの施設もあり,また緑も比較的多くいろいろな地域への交通アクセスも良くて大変便利で過ごしやすい土地柄です。(JRは通っていませんが…,笑) 続きを読む

国際医療研究会 Student Society of Tokyo Dental College for International Oral Health

4年 代表 倉澤  馨

 国際医療研究会は平成7年に創部された新しい部活で,国内外を問わず広いフィールドで活動しています。学生自身が活動の企画・運営をすることで,地域歯科保健や国際口腔保健について積極的に学んでいます。 続きを読む

巻頭言/共に同窓会会員として

副会長 玉井達人
副会長
玉井達人

(東京歯科大学同窓会会報 平成26年12月号/第398号より)

 11月2日の評議員会では,事業改革を進めるための重要議案と平成25年度決算と平成27年度事業計画および予算についてご承認をいただきました。
 その主題「TDC アカデミア構想」は,血脇イズム精神を基本に現代そして未来の歯科医療人はいかにあるべきかを示し,幅広い分野で活躍できる社会性を備えた歯科医師を育成することにより,同窓ひいては歯科界の発展を目指しています。 続きを読む

卓球部OB会/東京歯科大学卓球部「創立100周年記念祝賀会」開催される!

 平成26年8月30日(土),ホテルメトロポリタンエドモントに於いて「卓球部創立100周年記念祝賀会」が盛大に開催されました。北海道から台北までOB・OG72名,現役部員20名が出席,全員の記念写真撮影後に開会となりました。 続きを読む

卓球部創立100周年 ~祝賀会を終えて~

2年代表 杉浦  慧

 今年の8月30日(土)ホテルメトロポリタンエドモントにて卓球部創立100周年記念祝賀会が開催され,多くのOBの先生方やご来賓の方々とともに現役部員20名も出席させていただきました。
 東京歯科大学卓球部はまだ「卓球」が「ピンポン」と呼ばれていた大正2年に松井禮七先生を中心に「ピンポン部」として創立されました。 続きを読む

北海道地域支部連合会/総会報告

 北海道歯科学術大会(第1日の基調講演は宮地建夫東歯同窓会副会長でした。翌日は鹿児島入りとのことで,同窓会にはご出席がかないませんでした)の日程に合わせて,平成26年8月23日(土),札幌第一ホテルにて北海道地域支部連合会支部長会並びに総会が開催されました。当日はおなじみJR北海道がまたまた止まり,ご来賓や各地会員の札幌入りに大変ご迷惑がかかるというハプニングがありました。 続きを読む