口腔外科学教室創立90周年および精到会創立80周年記念式典の開催

 平成25年9月7日(土)、ホテルメトロポリタンエドモンドにおいて定例の精到会(口腔外科学教室同門会)総会に続いて、上記式典が開催された。先ず、現部長による『温故知新―口腔外科学教室の更なる発展―』と題した講演が行われたのち、同ホテルで150余名の参加者による懇親会を挙行した。精到会幹事長の榎本洋史先生ならびに本学理事長の金子譲先生のご挨拶に続いて、中久喜喬名誉教授による乾杯のご発声のもと、まさに賑々しくかつ華やかな懇親へと移行した。旧水道橋病院そして千葉病院時代の思い出が多く語られ、教室90周年の功績を讃え合った楽しい時間であった。水道橋病院院長の矢島安朝先生による中締めはあったものの、多くの参加者は水道橋橋畔の灯に繰り出して行き、まさに温故知新を文字通り実行した教室史の一ページを綴るひと時であった。

 口腔外科学教室は、大正12年10月15日に補綴科、保存科と共に3部門体制の一つとして遠藤至六郎教授によって開設された。遠藤先生はその前月の9月1日に米国・ドイツの留学を終え帰国されたが、その当日に関東大震災が起こり、東京を中心にした大混乱を経験したことになる。木造建築はすべて灰塵と化し震災後の混乱のなか、病院とは名ばかりで窓のない一階の片隅に治療椅子が三台のみから遠藤教室は始まった。口腔外科部長の他、医員は大井清先生一人、他に看護婦が一名いたのみであったと聞く。シンメルブッシュ消毒器二個が七輪の上で煮立っていた状況の中で、『世界レベルの歯科医師による口腔外科を目指す』想いで帰国された先生の胸中いかばかりか、お察しするに余りあるものがある。

 決して順風満帆な船出ではなかった教室も、歴代の部長教授のもとで着実な発展を遂げ、今、隆盛期を迎えています。関東大震災の天災から始まり、世界大戦と敗戦による戦災等、数々の艱難辛苦をその都度気力と英知で乗り越え、先人の努力によって今日の教室の礎が作られた。現役として迎える満90年の祝賀の栄誉に身の引き締まる思いを感じる。さらに教室の現役医員とOBの親睦団体である精到会は、遠藤口腔外科学教室誕生の満10年にあたる昭和8年10月に赤坂の山王ホテルにおいて設立した。『精到会』の言われは、当時校長の血脇守之助先生が論語の中から『深研精到』の言葉を選び命名された。

 現在の口腔外科学教室は『私学の雄』、『歴史ある教室』の称賛に甘んじて胡坐をかいていないか自省の念を持つ。遠藤先生の『自学自習』、血脇先生の『深研精到』の教えを今一度心に刻み、襟を正して教室の更なる発展に尽力したい。

(昭和54年卒 柴原 孝彦 記)