卒業アルバムから見た母校の変遷 -現在との比較- その2(同窓会報第401号より)
前号に引き続き,大学のご厚意により図書館からお借りした卒業アルバムから,なつかしい写真と現在との比較を企画した(現在の写真は筆者撮影)。
前号に引き続き,大学のご厚意により図書館からお借りした卒業アルバムから,なつかしい写真と現在との比較を企画した(現在の写真は筆者撮影)。
横浜市の南部,東京湾に近い金沢区長浜に横浜検疫所旧細菌研究室がある。ここは野口英世が1897(明治30)年,血脇守之助先生はじめ多くの人々の協力を得ながらようやく医師免許を獲得し,高山歯科医学院,順天堂病院,そして北里柴三郎博士の伝染病研究所と職場を変えた後,1899(明治32)年,北里博士から新しい働き場所として推薦されたところである。そしてここでの功績が認められ,初の外国赴任のチャンスを掴んだ思い出の地である。
血脇守之助先生は数多くの書を残されました。古い卒業アルバムには毎年のように掲載され,縁のある方々には事あるごとに筆を取り,生徒,友人,子弟へ,また時代背景を添えてみると時には血脇先生本人の心境を反映するものとして読み取ることができそうです。
「野口博士ほど写真のお好きな研究者はいない」とも言われ,我が東京歯科大学にとてもゆかりの深い野口英世。彼が写るカラー写真が日本人最初のカラー写真だということを皆さまご存じであろうか。
青地のワイシャツに糊の効いた純白の襟,胸ポケットには黄色の花が挿してある。よほど日差しが強いのか目を細め,左手は見えないようにボーダー(帽子)が置かれ,右手にはしっかりステッキを持っている。また,背景は緑の木々が生い茂り,たいへん鮮やかな赤い花で囲まれている。大正3年に英世から小林栄先生のもとに送られてきたもので,保存状態は大変に良く,この写真は現在猪苗代湖湖畔の野口英世記念館にて展示されている。
では,いったいいつ誰がどうやって撮ったものであろうか。
会計部常任理事福本恵吾 (東京歯科大学同窓会会報 平成27年10月号/第401号より) 平成24年1月より同窓会の理事に就任させて頂き,会計部とゴルフ大会を担当させて頂いております平成2年卒の福本と申します。平成卒の理 […]
前回まで,欠損歯列を“病期と病型”という2つの方向から病態把握する方法を説明しました。今回は具体的な一症例を通して欠損歯列を評価してみます。
初診1985年8月,当時62歳男性,金属関係の会社役員,主訴左上4の動揺と疼痛。初診から約1カ月後保存不可能と判断しその歯を抜歯しました。図1は抜歯後の歯式です。抜歯により唯一の臼歯部咬合支持を失ってEichner B4になりましたが,日常の食事の不便さを訴えることはありません。
バレーボール部OB会長の坂英樹先生が,昨年10月1日付けをもちまして明海大学歯学部病態診断治療学講座歯科法医学分野の教授に就任されました。それを祝しまして,本年7月12日(日)「東京ドームホテルシンシア」にて就任祝賀会を開催致しました。OB 74名,現役28名,大学からは井出吉信学長,森田雅義先生(顧問)をお招きし,総勢102名の盛大な会となりました。司会進行は岸本敏幸先生(平成21年卒)に務めていただきました。
かねてより期待の高かった札幌総会は,海の日の連休を利用して,平成27年7月19日(日),市内の海鮮居酒屋「開陽亭」の1フロアを借り切って開催された。参加者41名。前日の土曜日には,水道橋病院副院長髙野正行君が,地域同窓会員のための学術講演会で講演した(演題「口腔粘膜診査のススメ」)のだが,黎明会員の多くはそれを聴かずに観光していた…。
本年度の福岡県支部(福陵会)学術講演会・総会を5月30日,福岡県歯科医師会館にて開催しました。
講演会では,同窓会副会長でもある宮地建夫先生を講師に。会報にも投稿されている欠損歯列について,「欠損歯列の私の読み方」の演題でご講演いただきました。また,先生には講演に引き続き,同窓会の現状やアカデミア構想,同窓会創立120周年記念事業等,更には母校水道橋校舎西棟新築や国家試験の状況などホットな話題を織り交ぜたお話をしていただきました。