宮地 建夫(昭和42年卒)
前回まで,欠損歯列を“病期と病型”という2つの方向から病態把握する方法を説明しました。今回は具体的な一症例を通して欠損歯列を評価してみます。
1.症例(図1)の概要
初診1985年8月,当時62歳男性,金属関係の会社役員,主訴左上4の動揺と疼痛。初診から約1カ月後保存不可能と判断しその歯を抜歯しました。図1は抜歯後の歯式です。抜歯により唯一の臼歯部咬合支持を失ってEichner B4になりましたが,日常の食事の不便さを訴えることはありません。
2.咬合三角とリスク評価
咬合三角で確認すると,第三エリア(2月号参照)の直前の位置にきています。もし咬合支持がこれ以下になると顎位はより不安定に,咬合再建も困難なステージに入いる危険性の高いレベルにいることが読み取れます。第三エリアに入れば総てが難症例というわけではないとしても,“危険の可能性”を見逃さないように少し過剰に先読みすることがむしろ大切です。逆に,もし咬合三角の左上で充分に安定しているような歯列では,見逃し(β 過誤)より読み過ぎ(α 過誤)のほうが問題になります。この症例のように歯列レベルが悪化傾向にあるときは,「難症例エリア直前」のつまり「崖縁にきたハイリスク症例」と少し強めに読んでおくべきだと思っています。
3.咬合三角とコース
咬合三角では咬合支持数がどこまで減弱しているかという上下のレベルと同時に,どちら側に寄っているかという図の左右レベルも掴んでおきます。本症例では咬合支持数5・歯数は17歯です。咬合支持数5になる歯数条件は19歯から10歯の範囲ですから,17歯は咬合支持数のわりには歯数が多い症例ということになります。咬合三角内に走る曲線は著者の診療室で集計した咬合支持数と歯数の平均値のラインです。この症例はその平均ライン上に位置し,ここから歯の喪失があったとしてもこのまま平均的で穏やかなコースで少数歯残存方向へ軟着陸していければ,日常あまり不便がなく推移するだろうと思われます。
4.歯の生涯図での読み
初診時62歳で歯数17は,この患者の当時の年齢平均と比較すると,喪失が3歯ほど多く,初診までの歯の喪失速度がやや速かったことが伺えます。そして「現状が悪いと,その後も悪い」というのが予測の物差しですから,その物差でみると,“これから注意しなければ”という予測が成り立ちます。さらに60歳代後半からの10年,15年はそれまでよりも平均的な歯の喪失速度が急カーブになっていますから,それを本症例に当てはめると,これからさらに増齢リスクが加算されるとみて,心の準備をしておくべきかもしれません。今までの流れから,これからのリスクを嗅ぎ取ろうという姿勢が欠損歯列のような継続疾患では大切だと思っています。
5.Cummer分類の性質
次に欠損パーンという病型の確認です。欠損パターンはCummer分類がイメージしやすいのでこの分類を利用します(6月号参照)。この分類の弱点は感度の鈍さがあげられます。本症例でも,歯式のまま読めばパターン1ということになります。歯数が17歯に減少してもパターン1から動かないことからも“感度の鈍さ”が分かると思います。ここで将来どんな終末パターンに向かって進んでいきそうかを推測することが目的ですから,実際の歯式をそのまま当てはめるより,行き着く先は多分こういうパターンへ流れそうだ,このコースと見なせるのでは,と少し大胆に深読みすることがCummer分類では必要になります。感度の鈍さを補うためにです。
6.欠損パターンの流れ
本症例は歯式ではパターン1でしたが,下顎の両側遊離端重視するパターン41に近いとみなせます。あるいは上顎前歯部に多くが存在し,左右臼歯部は少ないということに注目するとパターン6への流れの途上のようにもみなせます。パターンの流れをザックリ掴むという意味では分類表の下降するコースをとっているとみなすか,上段を右横に進むコースなのかという流れの傾向を読み取ることが必要です。下降するコースなら下顎の補綴が優先されますし,右横に進むコースなら,上顎歯の補強が優先されるはずです。
7.処置方針
この症例を私は,上顎前歯がハイリスクになるパターン6へのコース途上と診ました。その判断根拠としてパターン41から44に進む頻度よりも,パターン6から8へ向かう方がざっと倍以上発現しやすいという臨床データがあるからです。もし迷ったらパターン6や8へ向かっていると疑ってみるほうが後悔の少ない選択になります。咀嚼機能に不満が無いということからも下顎臼歯部の補綴よりも,まず上顎前歯を保護する処置方針が優先されると読みました。そして咬合三角や歯の生涯図からは進行リスクが高いようなので,少し積極的な補綴が求められている時期だと判断しました。その結果として処置方針は上顎前歯部を積極的に取り込んで二次固定効果(次号で説明)を期待した義歯を選択しました。その旨患者さんに提示し,同意を得て補綴処置に進みます。
8.意思決定と特定要因図
2月号,6月号で説明した病期と病型という視点で症例の病態をみてみました。その読みから,処置方針が導き出されたように説明しましたが,実際の臨床ではそういうわけにはいきません。ここで取りあげた欠損歯列の評価は症例全体の病態のごく限られた部分だからです。症例全体の病態には個々の支台歯の病態や顎運動のような神経筋機構,咬合力・病的噛み癖,それに加えて患者の生活背景や価値観まで,おおくの要素が絡んできます。さらに術者一人一人の癖まで含め臨床での意思決定は複雑系といわれています。ということで仲間内での症例検討会などを利用して,自分の意思決定の偏りを自身で確認しておくことが大切だと思っています。
同窓会では自由参加の「症例検討会」を行っています。同窓会HP(検索:2015 TDCアカデミア卒後研修)をご覧下さい。
最終回では今回の症例の補綴設計の選択,長期経過とその経過をどのように評価したかを取り上げたいと思っています。