同窓会の歴史を訪ねて-その1-(同窓会報第400号より)
同窓会創立120周年記念事業を前に,同窓会ではこれまでの道程,特に黎明期の歴史について調査と検証を進めている。その中で,目新しい事実がいくつか浮かび上がり,視察を行った。その一部を紹介する。
同窓会創立120周年記念事業を前に,同窓会ではこれまでの道程,特に黎明期の歴史について調査と検証を進めている。その中で,目新しい事実がいくつか浮かび上がり,視察を行った。その一部を紹介する。
血脇守之助の少年時代は穏やかで丁寧そして真面目であり優秀であった。学院長になってからもニコニコとした笑顔でうんうんと人の話を聞き,誰からも好かれた。生活はとても質素なのだが,とにかく酒好きで旅中では朝,昼,晩だけでなく寝酒も嗜み終生,盃を離さなかった(熱燗が好きで口唇を突出し独特の飲み方をしていた)。酒を飲んで醜態をさらすことは決してなかったのだが宴会で偉い人がいようとかまわずやる余興があったが天性の魅力のある血脇を不快に思う者はいなかった。そして生来読書が趣味であったので,経済学,四書五経,易学にも通じていた。
母校図書館には明治41(1908)年以降の卒業アルバムが大切に保管されている。今回は大学のご厚意により,そのなかから貴重な写真をお借りして同地点の現在との比較を試みた(現在の写真はすべて筆者撮影)。
昨年同窓会創立120周年記念準備委員会ができそのテーマを決める際に「高山イズム,血脇イズムとは何か」ということから始まりました。
学生時代から今まで耳にしたことはありましたが真剣に考えたこともありませんでした。また,大学の起源や同窓会がどのように設立されたのか全く興味もありませんでした。おそらく多くの皆さんもそうでしょう。
歯科大学に入り歯科医師となり普通に診療を行い歯科医師会等にも参加してきました。そこで他大学の方から「東京歯科の卒業生はどこか違うね」とよく言われてきました。そのことがずっと気になってはいました。ちょうど良い機会だからそのルーツについて少し考えてみようと思いました。
そもそも120年以上の歴史をもつ歯科大学なんか他にないのですから。
広報委員会では、東京歯科大学同窓会創立120周年事業の一環として、今まで発行された同窓会会報・記念誌を全て、毎月50号前後ずつ掲載いたします。
第3弾として、東京歯科大学同窓会会報 第102号〜第150号(昭和40年2月1日号〜昭和47年12月15日号)を掲載しました。
広報委員会では、東京歯科大学同窓会創立120周年事業の一環として、今まで発行された同窓会会報・記念誌を全て、毎月50号前後ずつ掲載いたします。
第2弾として、歯科医学叢談1〜4(明治28年10月〜明治32年10月)および、東京歯科大学同窓会会報 第52号〜第101号(昭和32年2月10日号〜昭和39年12月1日号)を掲載しました。
「東京歯科大学同窓会創立120周年記念事業」ページに、「東京歯科大学同窓会創立120周年記念チラシ・参加申込書」を掲載しました。 「東京歯科大学同窓会創立120周年記念事業」 >>
5月2日(土)16:30~17:25にUX新潟テレビ21にて「野口英世は死なず ~永遠のノーベル賞候補 最後の帰国から100年~」が放送されます。
大学および同窓会が全面協力を行い、血脇守之助先生、石塚三郎先生が大きく取り上げられます。
特に、野口英世先生役はS61卒の常木哲哉先生が演じられます。
新潟県内だけの放送ですが、東京歯科大学のことがが大きく取り上げられます。
ぜひ、皆さんにお知らせください。
広報委員会では、東京歯科大学同窓会創立120周年事業の一環として、今まで発行された同窓会会報・記念誌を全て、毎月50号前後ずつ掲載いたします。
第1弾として、東京歯科大学同窓会会報 第1号〜第51号(昭和22年10月20日号〜昭和31年12月25日号)を掲載しました。
「東京歯科大学同窓会創立120周年記念事業」ページに、「東京歯科大学同窓会創立120周年記念チラシ」を掲載しました。 「東京歯科大学同窓会創立120周年記念事業」 >>