十期会(昭和37年卒・67期)/惜別 傘寿 越えは難関「涙そうそう」

 十期会(昭和37年卒)の41回目クラス会は,昨年10月29日山内会長の元で東京目黒の雅叙園で開催され26名の参加でした。
席上,松山さんの「老いると云うこと」(黒井千次著)の朗読がありましたが昨年は男子ばかり5名(小倉,下井,栗山,梅田,横田君)に惜別,傘寿越えは難関の峠でしょうか?

※小倉英世君は運動神経抜群で東京オリンピックのスケートリンクでボランティアに指名される技量の持主でした。ゴルフは勿論シングル,私は何時もチョコレートを買わされました。
 昨年で43回続く同窓会本部のゴルフコンペでアルバトロスを為し遂げたのは小倉君ただ一人のみと思います。レイクウッドGC東コース12番で第2打がピンの左10メートルにオンしてゆっくり右カーブしてカップインするのを目撃して感激したことを覚えています。そして,発病から15年程も奥様の手厚い看病で良く健康を維持出来たと感心しています。
※入学式の前夜,3畳一間,2食付7千円の下宿で一緒だったのは下井・栗山・花上君と私の4名でした。
 その晩,ベニヤ板壁の隣室から「南無妙法蓮華経」の読経が夜8時から11時頃まで続き寝不足で登校すると読経の張本人は下井君でクラスメイトでした。
 その後も読経は毎日続き,お寺関係かと聞くと「今日は学校を休んで学会に行く」と言って「創価学会」に出かけて行きました。下井君は独特の個性ある性格で数々の逸話の持主です。予科時代は神原・盆子原君などがフォローアップしていたと思います。宿からは,まず栗山君が転居,私も花上君も逃げ出しました。
※栗山君は富山県で人望を集め県歯の会長を務めました。全国歯科医師国民健康保健組合の東京事務所で一緒に勤務したことがありますが自分の考えをしっかり固持する頑固なところがあり,強い意志のある人でした。
※梅田君はスチールギター,絵画などの趣味に精通していました。
 ヨーロッパの写生旅行で自筆の絵ハガキを時々頂きました。十期会のゴルフ同好会のコンペには必ず参加して落ち着いてゆっくり回り場の雰囲気を高めて下さいました。私と岩淵君で小倉君のお見舞に行く約束をして新宿で待合せをした時,30分も梅田君が姿を見せず携帯も自宅も連絡が取れず,二人でお見舞を済ませた事がありましたが,逢わずにこれが最後となりました。
※横田君もゴルフでいつも一緒でした。豪快なドライバーはそのスイングから方向はとにかくビックリしたことを覚えています。
 地域の地区会長など社会貢献事業で忙しかったと聞いています。
※この原稿を書き終える頃,片桐教授の訃報が届きました。片桐君は市川病院の教授を永年務め,名誉教授で退職後は孫達に囲まれて穏やかな生活だったと香典返しのお礼のお手紙に記載されていました。
 私は,卒業後,初めて学校創立120周年の時に元気なお姿を拝見しましたがクラス会ではあまり会えず残念でした。

 昨年5名の旧友を送り,今年も1名で寂しさが深まるばかりです。
 「涙そうそう」の歌声を聞くと旧友の顔が思い出されて「そうそう」です。
 今年は会員全員が「傘寿」を獲得し10月の総会には元気な顔が揃うことを願っています。

(幹事会・金山 公彦 記)