新聞部黄金期OB会開く

 青春とは人生のある時期を言うのではない。心のあり様で決まるのだ…。マッカーサー元帥が愛したというサミエルウルマンの詩である。

 この青春時代を再現するため約50年振りで新聞部黄金期OB 会が4月20日水道橋グランドホテルで開かれた。

 あとで触れるがこの時代の新聞部は昭和35年から38年卒業の4学年で当時の学生活動に大きな成果を残した時期で新聞部史上まさに黄金期といえよう。会場一番乗りはお孫さんが母校在学中で歯科医5代目を目指しているという鈴木英生(浜松市),次に新聞部の指揮官で情報提供,問題提起,学生活動の民主化を唱える兵庫県支部同窓会の大御所吉田朔也(神戸市),そして元松本歯科大学教授で現在悠々自適の生活をしている近藤武(塩尻市),続いて越中富山にその名を残す同人雑誌「裸人」を主宰し,新聞部の紅一点珪子夫人とペアで参加した金山嘉城(高岡市),そして最後は学生会の初代委員長で歯科医学史に情熱を燃やす矢内融(前橋市),この会の世話役をつとめる安藤三男(練馬区)の7名が出席した。

 模擬編集会議は現在日本の政治経済はもとより日本の歯科医療問題,母校の水道橋移転そして日本歯科医師会及び東歯同窓会の厚生官僚を絡んだ贈収賄事件の結末,現在の保険制度に埋没される歯科の補綴,医学の中の歯学の一元論と二元論,課題は尽きることなく展開された。

 昭和35年この時期は安保闘争の真只中,東京歯科大学新聞に「東歯の発展を阻むもの」を論説に掲げ,家族主義への反発,学友会から学生会へ,そして大学任命の総代制度の廃止,そして何より圧巻なのは昭和34年に福島県飯館村で行われた無歯科医村診療,これがアサヒグラフや朝日新聞の1頁全面を占め,全国に堂々と報じられた。その後も茨城県水府村で2年間行われ,無歯科医村の口腔状態の惨状を調査した。この3年間に亘る学生代表は吉田,金山,高見沢(旧姓林達夫,故人)でいずれも我が新聞部の部員であり新聞部が中心にこの事業が行われた。

 昭和34年,奥村鶴吉元学長がご逝去の際はタブロイド版4頁に故人を偲ぶ教授座談会を特集した臨時号を徹夜で編集し,大学葬に間に合わせた功績も大きい。また,大学創立70周年(昭和35年)には4頁に亘る特集号を発行し,これが契機で大学が創立70周年記念誌を発行する事になり,その編集委員に学生代表として,矢内,安藤が参画し歯科学報創刊号から全号にわたり,学生に関する記事を調べて20頁におよぶ学生会の歴史を掲載した。この旨,福島学長の巻頭言に明記されている。新聞部の活躍には枚挙に暇がない。その後,新聞部は廃部となったがこの時期は新聞部の黄金期と言っても過言ではない。50年を経た今日でも当時の学生時代の情熱は衰えることなくここに立派に母校と共にこの水道橋に甦った。

(文中敬称略)
(昭和37年卒 安藤 三男 記)