「和敬清寂(わけいせいじゃく)」「日々是好日(ひびこれこうじつ)」「放下着(ほうげじゃく)」…茶禅一味の茶道/市川  豊(昭和47年卒)

市川 豊先生のご紹介

 市川 豊先生は,77期(昭和47年)にご卒業され,現在東京都板橋区でご開業されています。常に笑顔を絶やさず温厚で,私たち後輩にも優しく接してくださいます。今回の記事によりその原点が茶禅一味の茶道にあると感じられました。私も学生の頃,市川キャンパスに保存されていた血脇先生ゆかりの血脇会館の和室で,茶道部が活動していたことを思い出します。
 長い歴史を持ち,禅の精神を“道”として具現化した茶道の本質を楽しみ,極め続ける市川  豊先生をご紹介します。

(広報委員会 小池 修)


「和敬清寂(わけいせいじゃく)」「日々是好日(ひびこれこうじつ)」「放下着(ほうげじゃく)」…茶禅一味の茶道

市川  豊(昭和47年卒)

 昭和41年,東歯に入学してはじめに軟式テニス部に入部しました。練習後,同級生の誘いで茶道部に立ち寄ったのが茶道を始めるきっかけとなりました。
 茶道部に入部してすぐの夏の合宿が,大阪府:磯長山・永福寺(聖徳太子御廟)で8月の最後の週の暑い中一週間行われました。ここでの合宿が,私が茶道を一生続ける基を色々体験いたしました。仏教,禅宗(臨済宗)との出会い,茶禅一味を味わう事ができました。茶道部の稽古は,昭和24年から進学課程の校舎の近くの村田宗信先生(裏千家)にご指導をいただいておりましたが,夏合宿は,毎年長野県飯田市にお住まいの中島韶平先生でした。裏千家流ではありませんが一見,どこかのお坊さんかなと思える先生でした。小学校の校長先生を退職し,若いころから修行されていた宗教的な茶道を指導されていました。
 中島先生に出会い,合宿生活を共にし茶道の「道」を学び,心の茶に興味を持ちました。茶道の点前の順序と形だけにとらわれず,「主客一体」相手の身になって考えられる茶道を学びました。
 初めての夏合宿は,まだ,点前もろくに出来ない新入生にとって衝撃的な出来事でした。広い50畳以上ある畳敷きの部屋が我々の稽古部屋でもあり,寝室(男と女は座卓の境界線)でもあり,早朝のお勤め,食事の時の般若心経の読経,まるで禅道場の様でした。中島先生は,茶道や宗教的な講義をなされ,茶禅一昧の一週間でした。
 中島先生に出会える夏合宿は鎌倉の建長寺,比叡山下の日吉大社,飯田市の長久寺・竜門寺,そして卒後,京都の建仁寺禅居庵,高崎の少林寺,秩父の法雲寺,中島先生と金毘羅参りをした香川県の海岸寺等々,思い出の多い寺院です。数年前,奈良への旅の途中,昭和41年の合宿所,磯長山・永福寺へ妻と尋ねてみました。周囲はまるっきり変わりナビがないと行けませんでしたが,寺院の中は,40数年前の朝の供茶をした聖徳太子の墓前は全く変わっておらず,とても懐かしく当時の事を思い浮かべました。
 益々,茶道の魅力に引かれ,裏千家に直接,「男の良い先生を紹介してください」と電話をしましたら,女性のすばらしい先生も大勢いらっしゃいますとのご返事を頂きました。家元が,働いている方や学生の為に直属の市ヶ谷教室を作り,そこへ入門いたしました(進学課程2年生時)。それからは,クラブ活動と裏千家の教室に通いました。
 茶道部は,初めのうちは予科の2年のみの部活でしたが,昭和37年頃より学部までの6年間の部活になりました。市川の予科では,血脇記念会館の和室での稽古で,水道橋の学部では和室がないため,地下の薄暗い異様な匂いのある部屋でPタイルの上にゴザを敷き一生懸命稽古をした思い出があります。稲毛に移転し,千葉校舎では,炉の切ってある和室で6年間稽古をする環境が整っていましたが,今度水道橋にもどり,稽古をする場所がどうなるか心配です。
 そして,昭和47年,卒業・歯科医師免許証と同時期に茶名「宗豊」の許状を家元からいただきました。
 その後,昭和51年に板橋で開業した時に,ありがたいことに中島先生より,ご自身で柿の木を彫って作った「静寂」の掛け物をいただきました。裏には「平点前をしつつ良きご家庭を作られ良き歯科医師になられ,人たるの道をつくされんことを祈ります」と記してありました。
 32歳の時に,準教授の許状を頂き,裏千家茶道の組織の中に入り東京第二支部の青年部長になり,家元主催の全国大会,青年講習会に参加し,全国の色々な職業の若い茶人との交流がありました。それから,淡交会親支部の常任幹事になり,色々な所での,茶会,家元の献茶式,家元の研究会に参加し,中野サンプラザの舞台の上で,点前をさせていただきました。
 家元は,日本の伝統文化茶道を少年少女にというスローガンのもとに,代々木の元オリンピック選手村で文部省から援助をいただき,少年少女(小中学生)の茶道教室を開講致しました。その教室の講師をしたり,都立飛鳥高校の茶道の授業や,短大の茶道部の講師をしました。
 同級生の紹介で,イタリア大使館で,日本の伝統文化の茶道の体験をしたいという依頼を頂き,大使館でお点前をし抹茶を美味しく飲んでいただきました。
 又,知人からの紹介で,オーストリアの歯科大学のAles Celar(Bernhard-Gottlieb-UniversityDentalclinik)教授は,禅に非常に興味があり,茶禅一味の茶道の体験をしたいということで,我が家の茶室に家族と共にいらっしゃいました。露地から入り,蹲(つくばい)をつかい,心身を清め,にじり口から席入りを体験してもらいました。小学生のお子さん,奥様も楽しそうに日本の伝統文化を味わい,不思議そうな顔をされていましたが,良い体験をしたと喜んでいただきました。
 又,銀茶会という,銀座の歩行者天国の道路で茶道の点前のデモンストレーションを行いました。
 我が家では,孫を相手に,お点前を教えたり,座禅をしたりしております。
 還暦の平成19年にお家元から,教授の認定を頂きました。
 現在は,「茶事」を目的とした,茶道教室を行っています。
 茶事とは,茶の湯において懐石,濃茶,薄茶をもてなす正式な茶会です。約4時間程かかります。お茶会というと,大勢の人が集まり,煌びやかな服装でお茶を楽しむ会を想像しますが,本来の茶会は,気心の知れた数人で炭手前をし,湯の沸くまで,一汁三菜を食べ,酒をのみ,美味しいお菓子を食べ,連客一同で濃茶を頂く日本の食事作法です。
 「お・も・て・な・し」の心です。
 日頃の稽古も,この茶事が出来るよう,炭手前,濃茶,薄茶点前を徹底的に稽古しています。
 現在の茶道の原型を完成させた千利休は茶道の心得を「四規七則(しきしちそく)」と説きました。四規「和敬清寂」,この四つの文字の中には,すべてのお茶の心がこめられているといわれています。
 「和」とは,お互いに心を開いて仲良くするということです。
 「敬」とは,尊敬の敬で,お互いに敬いあうという意味です。「清」とは,清らかという意味ですが,目に見えるだけの清らかさではなく,心の中も清らかであるということです。
 「寂」とは,どんなときにも動じないこころです。
 [利休七則]
  茶は服のよきように点て,
  炭は湯の沸くように置き
  花は野にあるように
  夏は涼しく冬暖かに
  刻限は早めに,降らずとも
  雨の用意,相客に心せよ
 この言葉は,千利休がある弟子から「茶の湯とはどのようなものですか」と尋ねられたときの答えでした。そのとき弟子は「それくらいのことなら私もよく知っています」といいますと,利休は「もしこれができたら,私はあなたの弟子になりましょう」といったそうです。
 あたりまえの事が,あたりまえになかなかできないのが人間です。
 茶道のお蔭で,色々な方々と出会い,一期一会の大変有意義な経験をさせていただいております。これからも,楽しい日々を暮らせるように,心のこもった美味しいお茶を点てていきたい。