第400号」タグアーカイブ

そして多くの若者が上京した ―― 歯科醫學叢談創刊号 ――(同窓会報第400号より)

岡山県支部 広報部

 120年前,同窓会(院友会)の機関誌「歯科醫學叢談第壱号(歯科学報)」が発行されました。院友会は高山一門の結束を目的とし相互の交誼を深め,更に研究機関としての役割も期待されたものでこれを受けて血脇守之助は「近代歯科の価値を広く認識させるには,機関誌の発行が急務である」と提案したと伝えられています。創刊号の発刊の辞には「日清の戦局既に畢(おわ)り旭光燦として万邦に耀(かがや)くの時に際し“歯科醫學叢談”忽然として大東帝国の歯科医界に現る…」と格調高く,祝詞には男爵石黒忠悳,歯科医榎本積一,バチュラーオヴアーツ池田成彬,薬剤師岩本米太郎など政界医界諸方面から祝辞が寄せられていることは,即ち高山紀齋先生の偉大さを示しています。 続きを読む

同窓会創立120周年記念特別企画 ~血脇守之助先生「書」のご紹介~(同窓会報第400号より)

 血脇守之助先生は数多くの書を残されました。古い卒業アルバムには毎年のように掲載され,縁のある方々には事あるごとに筆を取り,生徒,友人,子弟へ,また時代背景を添えてみると時には血脇先生本人の心境を反映するものとして読み取ることができそうです。
昭和54年発行の「血脇守之助傳」によると,我孫子の尋常小学校では成績優秀で高学年になると夜間は校長先生の自宅に通って漢字を習い様々な本を写筆,その見事な筆使いは「祖父は多くを学ばずして天性達筆であり,父も見事な筆蹟を残し,特に母も能筆家で,守之助の達筆は天性備わったものであったかもしれない」ということです。数々の書の中からその一部をご紹介いたします。 続きを読む

同窓会の歴史を訪ねて-その2-(同窓会報第400号より)

広報部・副委員長 福井 雅之

「野口英世記念館」

 東京ではすでに桜の見頃が過ぎてしまった4月中旬の週末,理事会が企画した福島県の「野口英世記念館」視察に同行させていただきました。 続きを読む

同窓会の歴史を訪ねて-その1-(同窓会報第400号より)

副会長 財部 正治

 同窓会創立120周年記念事業を前に,同窓会ではこれまでの道程,特に黎明期の歴史について調査と検証を進めている。その中で,目新しい事実がいくつか浮かび上がり,視察を行った。その一部を紹介する。 続きを読む

血脇イズムへの誘い(同窓会報第400号より)

生誕の地我孫子にある血脇先生謝恩之碑

広報部委員 西村 哲雄

 血脇守之助の少年時代は穏やかで丁寧そして真面目であり優秀であった。学院長になってからもニコニコとした笑顔でうんうんと人の話を聞き,誰からも好かれた。生活はとても質素なのだが,とにかく酒好きで旅中では朝,昼,晩だけでなく寝酒も嗜み終生,盃を離さなかった(熱燗が好きで口唇を突出し独特の飲み方をしていた)。酒を飲んで醜態をさらすことは決してなかったのだが宴会で偉い人がいようとかまわずやる余興があったが天性の魅力のある血脇を不快に思う者はいなかった。そして生来読書が趣味であったので,経済学,四書五経,易学にも通じていた。 続きを読む

卒業アルバムから見た母校の変遷 -現在との比較- その1(同窓会報第400号より)

広報部委員 渡邊 宇一

 同窓会創立120周年記念事業を前に,同窓会ではこれまでの道程,特に黎明期の歴史について調査と検証を進めている。その中で,目新しい事実がいくつか浮かび上がり,視察を行った。その一部を紹介する。 続きを読む

「野口英世は死なず ~永遠のノーベル賞候補 最後の帰国から100年~」
UX新潟テレビ21で,血脇守之助・石塚三郎両先生が紹介されました(同窓会報第400号より)

常任理事 小池  修

 平成27年5月2日(土)16:30~17:25,新潟県内でUX新潟テレビ21(テレビ朝日系列)にて「野口英世は死なず ~永遠のノーベル賞候補 最後の帰国から100年」という番組が放送されました。今からちょうど100年前の1915年9月5日,野口英世が15年ぶりに日本に凱旋帰国しました。これを記念してこの番組が企画されました。野口英世が世に出るために尽力した人々,特に本校の血脇守之助および石塚三郎の両先生がどのように野口先生と関わったかを詳細に明らかにしています。
東京歯科大学および東京歯科大学同窓会は,血脇・石塚両先生の功績をより広く知っていただくチャンスとなるこの番組の意義に賛同し,協賛をしました。新潟県内だけの放送だったのは残念ですが,11月29日の120周年記念祝賀会の記念品として番組を編集した「血脇守之助物語」のDVD を作成中ですので,ご期待ください。それでは,番組の概略をご紹介します。

 野口英世の母シカを,ランプの光の下撮影する石塚三郎。石塚は,写真を添えて帰国を促す手紙を野口に送ります。野口は,母シカの手紙と共にこの写真を見て15年ぶりの日本帰国を決意します。

 ここでレポーターを務める三田村邦彦氏が登場し,三人の人物を紹介します。一人目は野口英世(演じるのは新潟在住昭和61年卒の常木哲哉先生)で,石塚の申し出で新潟と長岡での講演を行ったと語ります。次に血脇守之助が登場し,越後に英語教師として赴任した時に歯科医師という職業を知り,これを目指すこととなりました。野口とは会津に出張診療に訪れた際に初めて出会い,上京したら訪れるよう話をしたとのことです。最後は石塚三郎で,野口と高山歯科医学院時代に起居を共にし,友人として生涯を過ごしたとのことです。写真家としても著名であり,帰国時の野口に同行して撮影し記事を表し,国内でその業績を紹介しました。
三田村氏の案内で,福島県猪苗代町にある今年4月にリニューアルオープンした野口英世記念館が紹介されます。野口の生家をはじめとして,野口ゆかりの品々が時代に沿って展示され,その生涯と業績をくわしく知ることができます。中でも母シカの手紙の実物が見られ,朗読のナレーションが流れます。さらには細菌学の意義と発展の流れがわかりやすく学べます。
次に東京歯科大学水道橋校舎に移り,野口が関東大震災の後にニューヨークから大学の激励のために送った「高雅学風徹千古」の書と,学僕時代に授業の開始と終了を知らせるために鳴らした鐘など興味深い品々が紹介されます。

 血脇と会津で知り合った野口は上京し,新潟県長岡市出身の長谷川泰が創立した済世学舎で医学を学んでいましたが,生来の金銭にルーズな性格が災いし生活費を使い果たして高山歯科医学院の血脇を訪ねました。血脇は何とか学僕として寄宿舎に潜り込ませることにしました。ここで石塚と知り合い起居を共にし,生涯の友となりました。医術開業試験に合格すると,北里柴三郎の伝染病研究所に勤務し,細菌学の研究を開始しました。その後,横浜の検疫所でペスト患者を発見するという大きな功績を挙げました。これが評価されアメリカ留学が決まりますが,その直前に渡航費用を使い果たしてしまい,血脇のもとに駆け込んできました。この時のことを高添一郎名誉教授が「絨毯を売り,高利貸しまで使って渡航費用を工面して,獅子がわが子を谷底に突き落とす心境で送り出したろう」と語っておられます。

 ロックフェラー研究所で大きな研究成果を挙げていた野口ですが,1915年生涯一度の凱旋帰国を果たします。日本各地で講演を行った野口は,再渡米前に石塚の誘いにより新潟大学医学部で講演を行い,翌日には長岡市の北越新報社と長岡病院を訪れました。新潟県阿賀野市の吉田東伍記念博物館には,石塚三郎が口述筆記し北越新報社に掲載した野口の生い立ちからの半生を綴った記事のスクラップが保存されています。この記事がその後の野口英世の伝記の元本となりました。また当時の世相を映した約3,000枚のガラス乾板も収蔵されました。石塚は野口の新潟講演を写真と共に記録に残し,後世に伝えることを大きな目的としていたと考えられます。
血脇守之助は1922年歯学教育制度視察のため渡米し,野口と再会します。野口の計らいでハーディング米大統領を表敬訪問し,野口の後見人として紹介されました。野口は「血脇さんの恩義を忘れたことはありません。そして恩義の帳消しはありません。」と語り,米国滞在中は付き切りでお世話をしました。
石塚三郎は国会議員も務め,また野口英世記念会の理事長に就任しその顕彰に尽力しました。当時学生時代に石塚三郎邸に下宿していた佐藤泰彦先生(昭和25年卒新潟在住)は「世話好きな好々爺で多くの来客があり,にぎやかでした。それでいて,自らを律し静かな生活をされていました。」と語られました。
野口英世は帰米後黄熱病の研究に打ち込みますが,黄熱病にり患し道半ばにしてガーナにて死去します。51歳の若さでした。
野口の死から25年後の1953年,石塚は「わが友野口英世」を出版しました。石塚三郎により撮影されたのは世界に羽ばたいた野口英世,その生涯最良の日々でした。これは未来へと引き継がれる近代日本の記憶となったのです。

(写真提供 UX新潟テレビ21)


巻頭言/会員名簿から見る支部の現況

副会長 財部正治
副会長
財部正治

(東京歯科大学同窓会会報 平成27年6月号/第400号より)

 昨年末に新しい同窓会名簿が5年ぶりに発刊された。これまでの名簿と体裁を変えたところもあり,使い慣れるには多少時間がかかるかもしれないが,種々の工夫が凝らされているのでご理解いただきたい。
新しい試みとして,会員ごとに所属支部を掲載した。卒後5年間は新進会員として支部加入は必ずしも必要ないが,5年目以降は基本的には支部加入が必要となっている。にもかかわらず卒後10年,20年経過した会員のところでも,所属支部の空欄が目立つ。支部未入会の増加が裏付けられている。 続きを読む