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巻頭言/5年間の在任期間を振り返って

会長 澁谷國男
会長
澁谷國男

(東京歯科大学同窓会会報 令和5年12月号/第434号より)

 日頃より同窓会活動にご協力いただき,ありがとうございます。現執行部は12月をもって任期満了を迎えます。その間の皆様のご支援,ご協力に感謝申し上げます。
 5年前の矢﨑前会長の突然のご逝去の後,会長職をお預かりし,理事者,大学関係者の皆様のご協力で務めてまいりました。私のようなものがはたして務まるか甚だ不安で理事会や委員会等に臨んでおりました。全国の地域支部連合会総会等にお招きいただき出席し,同窓の先生方に温かいお言葉をかけていただいたことが思い出されます。
 同窓会は現在,平成,令和の時代に卒業された同窓が半数以上となりました。世の中の著しい変化の中,日本人の意識も大きく変わってまいりました。同窓の同窓会に対する考え方も多岐にわたってまいりました。しかし,このような時代にこそ,建学精神である血脇イズムの1つである「歯科医師たる前に人間たれ」を忘れることなく同窓会はあるべきと思います。
 2020年11月26日プレス発表がありました。慶應義塾との統合に向けて協議開始と報道されました。多くの先輩,同窓より電話,手紙等をいただきました。私の知り得る経過の丁寧な説明に努めました。幸い好意的な報道が多く,同窓の理解も深まりましたが,2021年11月25日のプレス発表にて未曾有のコロナ禍,今後の状況の不透明等の事由により,スケジュールを見直し目途を設けず,協議を継続すると発表されました。同窓会としては母校大学運営には参画する立場でなく,母校発展に寄与するという本来の目的を堅持し慎重に行動すべきと考えております。
 2020年1月,中国重慶より新型コロナウイルス感染症の発生が報道され,あっという間に世界中が大混乱となりました。極力人が集まることは自粛,自宅待機,大学内立入禁止等,同窓会活動も大幅な変更,中止の処置を余儀なくされました。程なくして,Web 配信という手段をもって画面越しの会合が可能となり,日に日に円滑に各種事業が動きだしました。今ではTDC アカデミア,学術講演会等Web 配信併用で行われております。東京に集まるのではなく,診療室,自宅よりの参加が可能となり,これからの同窓会活動の主流になるのではと思われます。
 コロナ禍に翻弄された任期でしたが,2025年に同窓会は創立130周年を迎えます。新執行部一丸となり,これからの10年,20年先を見据えて活動してまいります。更なるご支援,ご協力をお願い申し上げます。

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2023年12月30日

「同窓会員からの写真投稿ギャラリー」を更新しました。

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(R5.11.28〜12.8 報告分)昭和30年卒・昭和44年卒(2名)・昭和50年卒・平成4年卒・平成8年卒の同窓会員が逝去されました。詳細は「逝去会員」欄をご参照ください。

昭和30年卒・昭和44年卒(2名)・昭和50年卒・平成4年卒・平成8年卒の同窓会員が逝去されました。
詳細は「逝去会員」欄をご参照ください。

(以下、報告日順・R5.11.28〜12.8 報告分)

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(R5.11.13〜24 報告分)昭和29年卒(名誉会員)・昭和39年卒(2名)・昭和45年卒・昭和62年卒・平成5年卒の同窓会員が逝去されました。詳細は「逝去会員」欄をご参照ください。

昭和29年卒(名誉会員)・昭和39年卒(2名)・昭和45年卒・昭和62年卒・平成5年卒の同窓会員が逝去されました。
詳細は「逝去会員」欄をご参照ください。

(以下、報告日順・R5.11.13〜24 報告分)

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2023年11月21日

「同窓会員からの写真投稿ギャラリー」を更新しました。

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巻頭言/新型コロナ禍で思うこと

信越地区理事 青木篤敬
信越地区理事
青木篤敬

(東京歯科大学同窓会会報 令和5年10月号/第433号より)

 私は信越地域支部連合会会長で,青木篤敬(あつゆき)と申します。今回は,この巻頭言の執筆を担 当することとなりました。宜しくお願いいたします。
 まず,ここ数年の医療現場で思うことは,やはり新型コロナウイルス感染症のことです。あの時我々は,行き場のない不安,焦燥感にさいなまれていたと思うのです。この様な時にどう生きていけば良いのか,といった問題を考えてみたいと思います。我々は,いつ終わるのかも分からず,過去に経験したことがなく,対処方法治療方法も確立されていない,答えの見つからない状態,そういうものに遭遇しました。しばしば「出口が見えない」とも言われました。そして,時間的にも空間的にも閉ざされた状態の中に閉じ込められていました。
 こう考えてくると,思い出すのはカミュですね。ここで参考にしたいのは,エッセイ「シーシュポスの神話」です。これは数ページですので5分で読み終わります。是非お読みください。このような出口の見えない,正解が見つからない,あるいは人によってそれぞれ違う答えがある,こういうものはもっと幅広く考える必要があると思うのです。
 内容は,ギリシャ神話の話です。シーシュポスという人物がいました,彼は神々に対して罪を犯し,罰せられます。罰は,巨大な石を転がしながら山の頂上に持っていくというものでした。しかし,山につくと,途端に石はふもとに転がり落ちてしまいます。仕方がなく彼はまた麓に戻り石を山に上げます。また落ちてしまい。また持ち上げて…。これを永遠に続けるという罰でした。終わりのない,答えの見えない,この罰は究極の刑罰ともいえるでしょう。「無益で希望のない労働」「全身全霊をうちこんで,しかも何物も成就されない責苦」そしてカミュはこう述べています「今日の労働者は生活の毎日毎日を,同じ仕事に従事している。その運命はシーシュポスに劣らず不条理だ」
 この「不条理」とは,
 「条」とは筋道,筋道を立てて述べること
 「理」も筋道,あるいは物事のそうでなければならない筋道 正しい判断
 つまり,不条理とは不合理,さらにこの世界の中で何らかの意味を見出そうとしてもうまくいかない,不可能である,といった意味です。論理的に物事を考えても,答えが出ない,ということです。新型コロナ禍の状況もまさにこのような不条理の状態であったといえます。世の中にはこんな不条理な問題がいろいろあります。カミュは答えらしきものをはっきりとは書いていませんが,私の解釈は,誠実に,努力することにこそ,人生の幸せは見いだせるのだ。自分で考え,不合理に対して自分の答えを見出すこと,ということのようです。当たり前のことのようですが,どうですか,皆さんはどう解釈しますか。