卒業アルバムから見た母校の変遷 -現在との比較- その2(同窓会報第401号より)

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稲毛

 我らが稲毛である。

 上写真は稲毛移転直後の航空写真で,海岸まで写っているものは珍しい。

 画面左右を横切る鉄道は当初貨物線として計画されたもので,その後旅客線に用途変更され,昭和61年,京葉線として開通した。稲毛海岸駅付近の開発もまだこれからのようである。

 左写真は水道橋移転直前の千葉校舎の様子。

 下右写真は,高洲市民プール付近の現在の様子である。一見左写真と同じ風景だが,こじま公園のこじま号は解体されて無くなり,新高洲橋の袂にあった消防署の建物も無くなり,市民プールは震災による液状化被害のため,現在も休止中である。画面左遠景に幕張ツインタワーが望める。

写真:平成22(2010)年(創志会)より 稲毛の様子が描かれた楽しいイラスト。

現在大学正門脇には薬局を含んだコンビニエンスストアが開店している。

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