同窓会の歴史を訪ねて-その2-(同窓会報第400号より)

広報部・副委員長 福井 雅之

「野口英世記念館」

 東京ではすでに桜の見頃が過ぎてしまった4月中旬の週末,理事会が企画した福島県の「野口英世記念館」視察に同行させていただきました。

凱旋帰国から100年にあたる年

 平成27年は,野口英世が15年ぶりにただ一度日本に帰国したときから100年にあたる記念する年という事で,縁のある地域ではイベントも開催されているようです。視察した記念館もこれにあわせて4月にリニューアルオープンしていました。

当時と同じ場所にある生家

 英世が1歳半の時に落ちて火傷を負ってしまった囲炉裏や上京の際に床柱に刻んだ決意文も当時の姿のまま残されています。

ライフスタイルは新しもの好き

 記念館には米国での生活を想像することができる品々も多数展示されています。新しもの好きな英世は米国でも当時珍しかったであろう品を友人,恩師に贈っています。写真の展示品はシャープペンシル,ティファニー社製の懐中時計,名刺と名刺入れ,デンタルフロスを贈った友人から片手が少し不自由な英世の為に片手用のフロスが贈られ,愛用していたようです。

血脇守之助先生と野口英世

 高山歯科医学院の講師として勤めていた英世は,明治31年に血脇先生が清国へ出張診療している間「歯科学報」の編集を同僚と共に携わり,英世が渡米後も論文を投稿しました。

渡米後も歯科学報に投稿

 理事の方々が熱心に見ている写真は凱旋帰国の日程を終え,帰米する日に佐渡丸船上にて撮影された写真を元に作られた等身大パネルです。

 このパネルには野口英世の人生を決定付けた大恩人の3人(手の手術をした渡部鼎,血脇守之助,小学校時代の教師の小林栄)と生涯の友人で前述の歯科学報を共に編集し多くの写真を撮影して残した石塚三郎(新潟県歯科医師会初代会長,野口記念会理事長)が揃って撮影されている貴重な写真をパネルにしてありました。血脇先生が野口英世にとっていかに計り知れない恩人であったかがこのパネルでもうかがえます。

高雅学風千古に徹す

 米国の別荘では書画も書いていたそうです。写真上の書は関東大震災で東京歯科医学専門学校も壊滅的打撃を受け,血脇先生を陣頭に立ちあがる教職員・学生を勇気付ける為に書かれたもので,震災翌年の大正13年に米国から学校に送り届けられ「高雅で気高い学風は決して失われることなく,永遠に続くであろう」という意味です。

 血脇先生と深いつながりがあったという眼でこの記念館を見て回ると,英世の生涯を物心両面で支え続けた血脇先生とそれに応える英世の思いも伝わってくる記念館でした。