巻頭言/ー母校創立120周年ー 先達の訓え

片倉恵男副会長
副会長
片倉 恵男

(東京歯科大学同窓会会報 平成22年4月号/第375号より)

 母校が創立120周年を迎えた今,改めて先達の人物像や業績を読み返す時,東京歯科大学の歴史と伝統の重みをしみじみと感じます。

 高山紀齋が大変苦労して歯科医学院を運営する中で,抜群の能力を持った血脇守之助を抜擢し,医学院の経営を委ねて自らは身を引く決断をしたことには,守之助に対する全幅の信頼と医学院の「継承と発展」への熱い思いが窺えます。

 守之助が野口英世の中国赴任に際して贈ったという『世の中は五分の真味に二分侠気,あとの三分は茶目で暮らせよ』の処世訓は,艶福家でもあったという恩師紀齋の一面をみて,自ら悟った言葉ではないかと推量するのは穿ち過ぎでしょうか。

 “東歯家族主義”の実践であり,“血脇イズム”の太い柱となっていると言われているのが,大正8年の“熊さん”こと島根熊吉という小使さんの本学最初の校葬です。

 68才で亡くなるまで16年間謹厳実直に勤めたことを血脇校長が認め,校葬を以って労ったとのことですが,この事実からしても『歯科医師である前に人間たれ』の教訓は,守之助の人間味を身に染みて感じるところです。

 我々が学生時代の学長福島秀策の座右銘は『周而不比』(あまねくしてひせず)でしたが,今振り返ると秀策もまた守之助の侠気や博愛・平等の精神を学び取っていただろうと思われるところが随所にあった様な気が致します。

 大正12年の関東大震災で壊滅的な被害を受けた際,傷心の血脇守之助に対して贈られた野口英世の揮毫『高雅学風徹千古』は母校の理念として,また血脇イズムの1つとして,東京歯科大学同窓の全員が自覚し,常に念頭に置くべき訓えであると思います。

 校歌“校旗は燦たり”は昭和2年に完成しましたが,作詞者北原白秋は「私は校歌を幾つも作ったが,こんなに感激して作ったことは今までに一度もない」と言い,作曲者山田耕筰は「私は今度の様に学生の力に動かされ,職員の熱誠に感じたことはない」と語ったそうです。如何に母校校歌の成り立ちが意味深く,素晴らしいものであるかを改めて知る思いが致します。

 血脇守之助は『今今と今といふ間に今もなく今といふ間に今ぞ過ぎゆく』という揮毫も遺していますが,私はこの言葉を,時々刻々変化・発展する社会状況を的確に把握し,対処しなければならないと言う教訓でもあると認識しております。

 平成24年4月には新しい「さいかち坂上校舎(仮称)」に新入生を迎え,それに合わせた移転計画が着々と進行しているとの報告を母校から受けております。

 環境が整った稲毛キャンパスから水道橋への移転は,苦渋の選択だったことは想像に難くありません。法人理事会・評議員会と教授会の一大英断に対して,同窓が物心両面にわたる支援を行ない,世界に冠たる学府を築くことこそ先人への恩返しであり,東京歯科大学同窓としての矜持であると確信いたします。

 今こそ同窓一丸となり“東歯イズム”を発揮する時ではないでしょうか。

〔文中敬称略・東京歯科大学百年史参照〕